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2008/04/07

賜物の賦与

歴代誌下 第1章

 ダビデの子ソロモンは、自分の支配を固めた。彼の神、主が共にいて、彼を高め偉大な者とされた。
 人は、自らの努力とその境遇により、この世界で偉大な者になることができる。そして、名声を奮い、さらに名を上げることができる。クリスチャンも、神を信じて社会で働くことにより祝福を得、人々の中で力を奮い、名声を得、それにより神に従う者の祝福を証しすることができる。私たちが望み、志すのは、通常ここまでである。しかし、もし人が神の為に、自分に備えられた特別な働きをしようと思うなら、上記のことだけではもはや一歩も前進することはできない。彼に必要なものは、神からの召命なのである。
 この召命が来るということは、神が彼の生活に関与されるということであり、彼が自分の意志でそれを願い、それを認めたということなのである。つまり、彼は実質的に主イエスの僕となったということである。そしてその後は、もはや彼に与えられている祝福が神の恵みを証しするのではない。彼を通して実際に成される神の業が天にいます神を証しするのである。
 ソロモンは、そのことを願った。彼は、自分に仕える者たちを連れて、ギブオンにある神の臨在の幕屋の前に行った。彼は、とにかくそこに行き、自分にできる最高のこと、すなわち焼き尽くす捧げ物一千頭をささげ、神の召命を求めたのであった。地位や名声、富や権力を求めずにただ神からの召命を求めたソロモンに神は、イスラエルの王としての召命とそれを行うための知恵と識見、更にそれに加えて、富と名誉をも与えられた。
 ソロモンは、神から与えられた知恵と識見で、イスラエルを治めた。彼は、強靭な軍隊を組織したが、もはや父ダビデのように、隊の先頭に立って出入りすることはなかった。彼は、神の知恵により、組織的に軍隊を動かしたのである。それは、神の知恵が常に彼と共にあったからである。その知恵は、彼が召命を受ける前には、そのように常には彼の元にはなかった。しかし、神はソロモンに召命と共に、それを遂行するための賜物を与えられた。そのように神は、召命を与えようとする者に、彼を信用して霊的な賜物を分かち与えられるのである。それが来たなら、極端なことを言えば、召命の遂行という一点に関しては、神は必要なくなる。それが来る前には、彼に知恵を与えていたのは神であったが、今はその神の知恵が彼に分かち与えられてしまったからである。もちろん、全能の神は、その賜物をソロモンから取り上げることもおできになるが、通常それをなされない。神は一度分け与えられた賜物を取り替えされようとはされない。それはある意味で、彼にとってさらに厳しい裁きを意味するのであるが、神は分かち与えられた賜物に関しても狼狽されることはないのである。、

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