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2008/04/04

永遠の意志

説教86:観想的生と活動的生とについて

 ルカの福音書第10章には、マリアとマルタの物語が載っている。主イエスが彼女らの家に来られたとき、二人は、それぞれの仕方で主イエスに接した。マリアは、主の足元に座って御言葉に聞き入っていたが、一方マルタは、忙しく立ち働いていた。私たちも、日常において、マリアのように静思と祈りのときにあったり、またマルタのように忙しく働かなければならないことがある。そのような日常の中で、どのようにしたら、いつも変わらぬ思いで神に仕えることができるだろうか。エックハルトによれば、マルタのように忙しく働きながら、心の内はマリアのように主の御側にいることが可能であり、それにはまず、自分の意志を神の前で断念する必要がある。なぜなら、自分の意志は、ときとして神の意志を行う妨げとなり得るからである。その練達について、エックハルトは、三つの意志と言う概念を持ち出す。第一は、「感性的意志」であり、これは真なる教師に聞き従うという指導を必要とする。第二は、「知性的意志」である。これは、人がその言葉、振る舞い、生業を最も高きものに秩序づけて同じようにしていくことである。これらは、たゆまぬ追求であり、努力と忍耐を必要とする。しかし、これらすべてが満たされると、神は魂の根底にさらにもう一つの意志を置く。それは、聖霊の愛による掟をともなう「永遠なる意志」であり、この意志には、もはや「なぜ」とか「どのように」というような理由は存在しない。これが与えられるとき、魂は「主よ、あなたの永遠なる意志のなるごとく、わたしにもなさせたまえ」と語り、大いなる安息に到達するのである。
 エックハルトによれば、マルタは正にこの境地に到達していた。そしてそれは、神に完全に付き従うすべての人に言えることである。人となったそのはじめから、キリストは私たちの永遠なる救いのために働きはじめ、十字架上の死に至るまでずっと働きつづけたのであり、彼の身体のどの部分も、際立った徳を働かなかったところはなかったのである。

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