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2008/04/01

高い山

説教72:三つの闇について

 「イエスは、この群衆を見て、山に登り、そこで口を開き、神の国について教えられた」マタイ5:1
 神は私たちを高い山に連れて行かれ、御子を通して教えを与えられる。それは、今まで誰も聞いたことのない、気高く貴い教えである。しかし、もし私たちがその神からの教えを聞こうとするなら、私たちはまず、私たちの周りの群衆を後にし、その前から立ち去らなければならない。
 主は、私たちを高い山へ導かれる。驚くべきことに、そこへ到達できるのは、私たちだけなのである。神の似姿に創造された私たちの魂だけが、その高い山の頂に立つことができる。私たちは、そこで神の教えの完成を聞くのである。しかしそのとき、そこに濃い雲が立ちこめ、主の御姿さえも見えなくなる。そのとき私たちは、神から直接に教えを受け取るのである。どのようにしてだろうか。御子のようにしてである。御子の御姿が隠されたのは、私たちが自分の内に御子を認識し、御子の内に自分を見出すためだったのである。しかし、ベテロたちが我に帰ると、そこには主イエス一人だけがおられたのであった。そして彼らは山を降りていった。
 私たちが山を降り、日常の生活に戻るとき、そこには主イエスだけがおられるのである。主イエスは、神であり同時に人である。そして、主イエスとともに山を降りてきた私たちは、すでに理解している。私たちも神の子であることを。そして、この地上で主イエスのように神と交わり、神に従い、神の栄光を現すのだということを。

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