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2008/03/27

神の似像

説教43:神が魂の内に子を生むということについて

 ルカの福音書第7章には、一人息子に死なれた寡婦についての話が載っている。そのとき主イエスは、死んだ若者に近づき語り掛けられた「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と。すると若者は起き上がった。この「寡婦」とは魂のことであり、「若者」とは、魂の一つの構成要素としての知性のことである。
 神は人を創造し、これに神と交わり、共に生きるために知性を与えられた。しかし、人はかつてその知性で神を偽り、罪を犯して神から離れてしまった。その結果、人の知性は堕落し、霊的な不妊状態に陥ってしまった。その上、知性はその代わりに、たくさんの悪いことを考え出して、ますます神から離れて行く傾向を身に着けてしまったのである。
 しかし主イエスは、この霊的に不妊状態に陥っている寡婦のような魂に、「若者よ、あなたに言う、起きなさい」と語り掛けられる。そしてもし知性が、自分に語り掛けられたこの主の言葉に耳を傾けるならば、魂は再びその絶望の淵から起き上がることができるとエックハルトは言うのである。
 知性はまず、自分に語り掛けられた言葉の中に、自らの呼び名を聞く。「若者よ」と主は語り掛けられる。そのように知性は、その本質においては、余すところなく若く、子を宿す力を備えている。子とは、もちろん神の一人子のことである。御子を心に宿すことにより、知性は再び、命あるものとなり、霊的なあらゆる実りを回復させられるのであり、これが知性の成す本質的な業なのである。
 また知性は続けて「起きなさい」との主の命令を聞く。それは、この世の業にのみ埋もれていた以前の状態から身を起こして、自分の内にある先の本質的な業のために起き上がりなさい、と言う意味である。それは、何かを成すとか、作り出すとかいう業ではなく、父なる神が太古から現在に至るまで働き続けている偉大なる業である。このただ一つの業に比べたら、その他のすべての業は、まったく価値が無いと言える。すべての被造物は、このただ一つの業の完成に向けて行為しているのである。この完成とは何だろうか。それは、魂が再び命あるものとなり、彼がすべての被造物を御子を通して相続することである。そのとき魂は、御子と同じように、父なる神の真正なる子とされるのである。
 エックハルトによれば、父が子を生むとき、父がその有と本性において持っているものすべてを子に与えるのであり、この授けの中で聖霊が流れ出るのである。しかし、これは実に戦慄すべきことなのだが、私たちの心に御子が生まれるということは、そこが私たちの心であるゆえに、そのことは実は、私たちが御子を生むということになるのである。どのようにしてそれが可能なのだろうか。エックハルトは言う、「魂が神の像であるような場で魂が生きるときに、魂は生むのである」と。そして私たちは、まさにこの「神の似像」に神により創造されたのである。

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