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2008/03/06

静粛なる闇

説教28:神の子の誕生について

 箴言8:22によれば、御子は万物に先だって生まれられた。そして、二千年前に肉体を持って、この地上に生まれられた。そしてまた、今日においても、彼を信じる者の心の中に生まれられる。エックハルトによれば、これら三つのことは、時間の内では、互いに隔たっていても、永遠の世界においては、正に同時に起こっていることなのである。すなわち、私たちの心に主イエスが生まれられることにおいて、私たちは、原初の世界、万物の創造と関わりを持つのであり、それゆえ聖書に創世記が記されているのである。そしてそのとき、私たちは、永遠のうちで神が生む神の独り子なのである。なぜそうなのか。それは、主イエスが「あなたがたは、わたしの業を行うであろう」と言われたからであり、この等しさにおいて、わたしたちは皆神のひとりの唯一なる子なのである。
 「初めに・・」。エックハルトはこの聖書の言葉が、創世記における天地創造の時に記され、そしていま、私たちに向かって、福音の中(ヨハネ福音書冒頭)で語られることに注目する。そのようにわたしたちは、「永遠の秘蔵性の隠された闇(すなわち混沌)から父が永遠の内で生んだ独り子であると同時に、すべての純粋さの満ちた原始(すなわち創造の原理)の内に今もとどまりつづけている」のである。それは、「この純粋性の内から父はわたしを永遠に、その独り子として、わたしが父となり、わたしを生んだ父を生むようにと、永遠なる父性の同じ像の内へと生んだ」からである。その意味は、エックハルトによれば、人が福音を信じて告白することは、御子を告白すること、すなわち、心の内に御子を宿す、すなわち「生む」ことであり、それはまたわたしが、御子を生んだ父となることなのである。このように、エックハルトは、信じるというできごとを、単に救済論的なできごとの範囲で見るのではなく、それは宇宙的、創造論的なできごとであると言うのである。それは、「神は世界を一切合切、いま創造するのである」という彼の主張にも表されている。
 そこで彼にとっては(またわたしたちにとっても)、「神は御子において、私たちに万物を賜った」という聖書のことばが語っているのは、将来のことではなく、今まさに、この瞬間に(すなわち永遠の今において)起こっていることなのである。
 しかし、私たちにはまだ、すべてが明らかにされていない。それは何を意味するのか。その明らかにされていないものは、いったい何なのか。エックハルトによれば、それは永久に明らかになることはないもの、すなわちそれは、「永遠なる父性の秘められた静粛な闇」なのである。

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