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2008/02/07

訣別の祈り(栄光化を求める祈願)

ヨハネの福音書(第17章1~5節)

 ついにイエスは、訣別の祈りを始められた。それはブルトマンによれば、天から降ってきた神の子が、受肉を通して遂行してきた啓示を完成させる決定的な時である。イエスは、「父よ、子に栄光を与えてください」と祈る。子が栄光を受ける正にその時こそ、時代の転換が起こる終末論的な時なのであるとブルトマンは言う。
 子の栄光化の核心はどこにあるのか。それは、二つの大きな転換にある。一つ目は、イエス側の大転換である。イエスはいままで啓示者として、彼の生を通して、人は神の前にいかに生きるべきかを身を持って提示してきた。しかし、この訣別の祈りが天の父により聞き届けられるとき、受肉者としての人間的なものは、もはやイエスから取り去られ、栄光を受けた者へと変容する。そのように彼の啓示がいまや完成し、死に至るまでの神への従順が可能であること、そしてそれが永遠の命への入り口であることを彼が明らかに示し終えるとき、それはまた、歴史の中に大転換を引き起こす。いつ果てるとも知れなかった広大な歴史の意味が、いまや明らかになる。それは言わば、イエスが歴史の終わりと成られた瞬間なのであり、ご自身が「わたしはアルファでありオメガである」と言われた通りに、いま実際にその通りになるのである。ブルトマンは言う、「彼(イエス)は終末論的な出来事になっている。歴史はそれを越えることができない。むしろそれはすべての歴史にとっての終末を意味する。彼を承認するか、放棄するかにより、すべての歴史にとって、それが生命であるか、死であるかが決定されるのである」と。
 いまや被造物全体は、それまでにない新しい意味を獲得することになる。歴史は終わったのではなく、再創造されたのであり、そのための新しい啓示が、いま輝き始めるのである。それゆえブルトマンは語る、「啓示の核心は、たとえば天的な存在者による内面的な照明や、神秘的な見神にあるのでは決してない。むしろ啓示はつねに受肉者についての説教によってしか与えられない。また彼の未来の力の証明の核心は、特殊な力の授与や奇跡にあるのではなくて、受肉者の言葉が審き、かつ死人を生かすことにあるのである」と。
 私は、これらのことでブルトマンが、信仰における霊的な要素をすべて否定しているのだとは思えない。むしろ、主イエスという人において、一時的に神が受肉し、私たちが見ることのできる一人の人となった目的は、それに続く彼の苦難と死と復活により、被造物の中に、すなわち、彼を信じる者たちの中に、神が形をとって受肉することを通して、流れゆく歴史のすべてが霊的な意味を獲得することなのだと思う。

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