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2008/01/29

裁きと哀れみ

イザヤ書 第16章

 神は、モアブに対して裁きを行われる。それは、彼らが神の前に高慢になり、神の民イスラエルに対しても高慢に振る舞い、助けを求めてきた彼らに哀れみを掛けることをしなかったからである。それゆえ、彼ら自身もまた哀れみを受けることがないのである。神は、ご自身に従う民をそのように取り扱われる。神は、ご自分の民を瞳を守るように守られるのである。
 神は、今日でもご自身の民、すなわちイエス・キリストを信じる人々をちょうどそのように守られる。そして、あなたに立ち向かう者に対して、モアブにしたのと同じ仕打ちをされるのである。あなたに向けられたどのような武器も役に立たなくなり、あなたは敵の前で勝利者となり、あなたの神を高らかに誉め歌う。
 ああしかし、神はイザヤを通じて言われる、「わがはらわたはモアブのために、わが胸はキル・ヘレスのために竪琴のように嘆く」と。神は、ご自身が裁かれた民モアブのために嘆かれる。モアブもご自身が愛を持って創造された民であるゆえに。神は今日でも、ご自身が裁かれた民のために嘆いておられる。あなたを苦しめる民の武器を壊し、彼らを無きものにしておかれながら、神は彼らのために嘆いておられるのである。
 神はご自身の内に、この大いなる矛盾を抱えておられる。もちろん神はその気になれば、いつでもそれを解消することがお出来になるだろう。しかし神は、その矛盾を世界のためにあえて抱えられたのである。それは、この世界を回復する大いなる御業を、定められたときに実行されるためであり、その日のことをイザヤを通して預言された。それは、さながらネヘミヤによる城壁と街の復興のようであり、人類の栄光が回復される日である。
 「そのとき、ダビデの幕屋に王座が慈しみをもって立てられ、その上に、治める者が、まことをもって座す。彼は公平を求め、正義を速やかにもたらす。」その日には、神の抱えておられた矛盾が解消され、神ご自身も安らぎを得られる。しかし、その為にはまた、かつて無い大きな代償が必要となる。そして、神ご自身がその代償を払われる決心をされたのであり、神はこのイザヤ書のあちこちでそれに言及しておられるのである。

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