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2008/01/12

数の集合・上限・下限

解析概論(1.3)

 上限とは、ある集合Aにおける上方の限界である一つの数aのことである。これは、集合Aそのものに属することもあるし、また属さないこともある。とにかく、Aはこの数aよりも大きくはなく、この数より小さくなったらAの内部に入ってしまうような数aのことなのである。そして、このような数が、自然数にも、整数にも、有理数にも、それらすべてを包含した概念であるところの実数にも想定されるのである。
 このようなことを考える目的は、有限の世界に無限の世界を投影するためである。例えば、自然数は0より大きく、無限に増加して行けるので、下方に対しては閉じており、1がその下限であるが、上方に対しては開いており、上限は存在しない。同様に整数は、上方にも下方にも開いており、上限も下限も存在しない。これらは、共に無限なる集合であるが、自然数は、整数の半分しかないかというとそうではない。なぜなら、0から始めて、0、1、ー1、2、ー2、3という具合にジグザグに訪問して行けば、すべての整数に自然数の背番号を付けることができる。つまり、整数の下方に限界を設けても、その集合の要素の個数は、変わらないのだ。それでは、上下両方に限界を設けて、その中に無限の要素を閉じこめることが可能だろうか。実は、これが有理数という概念であり、それは任意の二つの整数の商により生み出されるものであるゆえに、整数と同じ個数、すなわち無限個存在するに違いない。つまり、0と1の間には、無限個の有理数が存在するのである。
 神様は、生活の場という有限な世界の中に無限の世界、すなわち天国を投影されたのである。それは、ご自身の似姿としての人と人という二つの無限なるものの間の関係が織りなす無限の可能性なのであり、そこに信仰により天国が現存するのである。主イエスの「天国は、あなたがたのただなかにある」との言葉の通りに。

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数の連続性

解析概論(1.2)

 前述のように、この世界は整数のように離散的なものに見えるのだが、数学ではあえて連続性というものを定義する。聖書に、「愛は絶えることがない」と書いてあることを思い出すが、物質の運動や歴史のような時間的なものも、連続なものに思える。連続性を定義するには、「切断」という概念を使う。すなわち直線を、ある点を境に左右に分けたとき、整数ならば、例えば5の次は、6であり、5の前は4なので、5の両側には隙間がある。しかし、整数に少数を含めたものすなわち有理数となると、5の両側には限りなくびっしりと点がひしめき合っており、5に限りなく近い点が存在する。しかし、ルート2のような循環しない無限小数は、有理数ではないので、このルート2を境に、有理数に触れずに直線をスパッと非連続的に切断することができる。有利数は、一見連続的に存在しているようであるが、実は隙間だらけなのである。
 このように、数学において連続性を考えるということは、整数のような離散的なものを使って連続的なものを考察することなのである。すなわち、有限的なものの積み重ねとして無限を推論するのである。
 これは、聖書信仰に通じるところがある。すなわち、有限な人間に対して、無限な神がおられる。そして神は、人に永遠を思う心を与えられたから、神の御心をある程度理解することを許されている。しかし、人は神の御心の詳細を知ることはできない。いつも自分の前に示された道を一歩一歩歩いて行くことにより、これまで歩んで来た道から将来のことを推論し、神の守りと導きを信じて進むのである。

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