« 2007年12月19日 | トップページ | 2007年12月28日 »

2007/12/20

神のための戦い

歴代誌上 第19章

 ダビデの時代には、民族同士が互いに征服しあっており、ダビデも力で彼らを制圧し、それにより平和を維持していた。しかしダビデは、自分が征服した民族を奴隷のように取り扱うことはしなかった。彼らに対して、一定の覇権の行使と貢ぎ物を課したのは、彼らが常に力関係を意識するためであり、彼らが思い上がって、イスラエルに背くことを防止するためであった。
 しかし例えば、アンモン人の王ナハシュに対してのように、彼は自分が征服した民族の王に対しても、神に創造された者として尊重した。ナハシュが死に、その子ハヌンが代わって王となったとき、ダビデは、ハヌンのところに使節を遣わして哀悼の意を表そうとした。しかし、ナハシュの子ハヌンは、それを誤解し、使節に辱めを加えて送り返してきた。このとき、ダビデの心に燃え上ったものは、神からの聖なる怒りであった。
 この世界には、戦いが絶えることがないだろう。平和主義者は、それを憂いて喧嘩両成敗を唱える。しかし、神の御心は、単に争いのない世界ではない。それは、神の御心が行われる世界、神の義が支配する世界なのである。どんなに平和であろうとも、人々の心が享楽に満ちていたなら、それは良い状態ではないだろう。かつて仕事でラスベガスへ行ったことがあったが、そこでは争いを一度も見なかったし、道を歩いているとすべての車が私に道をゆずってくれた。しかし、建物という建物には、飛行場の中まで、スロットマシンやカジノが設置されていた。
 神のための戦いというものが確かにこの時代には、存在したのだろう。それは、神の義と愛とがまだ完全に啓示されていなかったからであり、永遠の命を与える約束もまだ与えられていなかったからである。しかし今は違う。私たちは、このときのダビデのように外敵に対して、必死で対抗したり、道を踏み外す者に神の義を思い知らせるために立ち上がる必要はない。
 現代を生きる私たちに必要なのは、ダビデに留まっていた、どんな困難にも、神の助けを信じて立ち向かって行く勇気であり、神の義を慕う愛である。私たちが今ダビデについて読むとき、その麗しい神の主権の香りが私たちを包み、聖霊の働きにより、私たちにもその香りが伴うようになるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年12月19日 | トップページ | 2007年12月28日 »