« 2007年12月13日 | トップページ | 2007年12月19日 »

2007/12/15

踊り

歴代誌上 第16章

 イスラエルの人々は、神の箱をダビデの町に運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置した。たぶんその幕屋には、聖所や至聖所および、それらを分かつ幕もなかったと思われる。ダビデは、レビ人の中から奉仕者を任命して、この幕屋の中で、神の箱の前に、購いの犠牲と賛美の生け贄をを絶えず神に捧げさせた。
 何としたことだろう。神は、このダビデ独特の礼拝の仕方を受け入れてくださった。それは、私にとっては大きな驚きだ。かつては幕屋の中に、物音はせず、ただ火の燃える音と、祭司の衣の衣擦れの音、そしてその房につけた鈴の音だけがしていたのに。今や、シンバルや竪琴、喜びの歌声が絶えず鳴り響くとは。
 そう言えばそれは、天地創造のころに大天使ルシファーがしていた礼拝の仕方でもある。しかし彼は、思い上がって神に背き、悪魔となってしまった。たぶん神は、そのことを覚えておられ、賛美の歌声を幕屋から消し去っておられたのだろう。
 しかし今や、その賛美が復活するときが来た。それにふさわしい器が現れた。それこそがダビデである。彼と神の関係は、単なる創造主と被造物の関係ではない。それは、愛の関係、恋人同士のような関係なのだ。そして、すべての楽器と歌声で神を褒め称えるということは、ダビデの神への愛から出てきたものだ。それは、恋人たちのように、「なぜ」という理由のない行為である。神が天地万物の創造主だというのではなく、義のお方だからというのでもない。そのようなことからは、人の心に神を讃美するという思いは湧き起こらないだろう。そうではなく、神がダビデに与えられた聖なる霊が、ダビデをして神を讃美せずにはおられなくしたのである。それゆえダビデは、神の前で力の限りに踊った。臆面も捨てて、神の前に踊り戯れる一人の人となって。そしてその神への愛は、また人々への愛を湧き起こした。ダビデは、すべてのイスラエル人に、男にも女にも、輪形のパン一個となつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えたのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年12月13日 | トップページ | 2007年12月19日 »