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2007/11/05

信仰の感動

ヨブ記 第37章

 エリフは、自分の信じる神について感動をもって語り続けた。まことに、神を崇め、ただ神にのみ栄光を帰す者、神だけを求め、愛し、その御旨の実現のみを求めるものの信仰を、神は清い感動をもって支えられる。エリフの確信は、彼に与えられていたこの聖なる信仰の感動だったのである。この領域は、聖なるもの、天的なことがらへの入り口であり、このような体験を経て、人は神を個人的に知り始めるのである。
 ああしかし、この領域は同時に無我の領域でもある。神の前に立つ我は、純粋な個人であると共に、もはや社会的な個人性からは離脱した状態に足を踏み入れているのである。つまり神の前においては、大会社の社長も子会社の一社員も変わるところは何もないのであり、ここでは個人的な社会状況は、すべて脱ぎ捨てられている。そこで、天を仰いで信仰の感動を語るエリフも、膿にまみれて横たわるヨブも、神の前にあっては、何も変わるところはなかったのであり、それゆえエリフの心には、もはやヨブへの哀れみの気持ちが入る余地はなかったのである。信仰とはそのようなものであり、そのような意味で信仰は狂気である。しかし、この狂気に立てないものは、神との特別な個人的関係にまで進み行くことはできない。そして、このエリフの霊的な感動がヨブの信仰の感動を呼び起こすならば、ヨブはエリフの語る一見冷酷な言葉によってさえ、大いなる慰めを受けたに違いない。
 しかし、ヨブが求めていたのは、そのようなものを越えていた。それは、神との一対一の関係であり、ヤコブが戦った神との格闘であり、アブラハムが薪を背負った我が子イサクの問いかけに対して語った言葉であり、ダビデが詩編の中で神に発した叫びでもあったのだ。そこには、エリフが語る真理さえ、入る余地はなかったのだ。

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