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2007/10/24

知恵の在処

ヨブ記 第28章

 この世界でもっとも価値あるものはなんだろうか。世の人は、お金こそ価値のあるものだというかもしれない。確かにお金があれば、衣食住が整い、様々な体験も可能で見聞も積むことができ、社交にも事欠かない。それらは、人生を豊かにするし、また彼はその気になれば、貧しい人を助けることもできる。しかし、いくら生活が豊かであっても、夫婦や家族がいがみあっていたら、その生活の暗さはどんなだろう。その結果、むしろ一人で暮らしていた方がましだとしたら、彼の豊かな財はなんの役に立つというのか。
 ものごとの一般的な価値は、私生活においては何の役にも立たない。人はよくこれらを混同し、自分は幸福だと錯覚する。しかし実際、彼の私生活は牢獄同然であったりする。しかしもし、彼に知恵があったなら、たとい彼が少ない財しか持っていなくても、彼はそれを用いて、彼にとって世界一幸福な家庭を築くことができる。
 それでは、この知恵はどこにあるのだろうか。人は世界中で、また歴史の中で、これをくまなく探すが、いまだかつてそれを捜し当てた者はいない。それは、空間の中にも時間の中にも存在していないのだ。それでは、どこにあるのか。それは、神の御手の中にあり、私たちが神に従順に人生を生きるときにそれがいただけるのである。

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ヨブの望み

ヨブ記 第27章

 ヨブは、尚も自分の正しいことを主張してゆずらなかった。彼は、神が自分の生きる権利を取り上げ、彼の魂を苦しめておられるにも関わらず、その神にかけて自分の正しいことを主張し続けた。惨めに死に逝こうとしている彼に、いったい何の主張すべきことがあるのか。いまのヨブの境遇にあっては、どのような議論もはかりごとも意味を持たないのではないか。実際、不治の病にある人にとっては、もはや、この世界の諸々のできごとは、何の意味も持たない。彼は、まもなくそれらと関わりを持たなくなるのだから。しかしヨブは、あくまで自分の潔白を主張してやまなかった。それは、彼自身のためというよりもむしろ神のためであった。彼は神に創造されたゆえに、神に対する不当な描写をそのままにしておくことができなかった。いまやすべての望みが消え去った彼にとって、ただ神だけが残された望みなのであった。それゆえ、彼が正しいと主張しているのは、もはや彼自身についてではなくむしろ神ご自身についてである。そして彼が隠さずに語ろうとしているのも、彼の知っている神のことなのである。

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