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2007/10/05

油断という敵

イザヤ書 第15章

 ここには、モアブへの神の裁きが綴られている。モアブは、かつてイスラエルが約束の地を目前にしたときに、彼らの領土を通過することを許さなかったばかりか、モアブの王バラクは、預言者バラムを招いて、イスラエルを呪わせようとした。しかしバラムがイスラエルを呪わずに祝福したので、バラクは今度は、モアブの女たちをそそのかして、イスラエル人を偶像崇拝に誘ったのだった。この誘惑により、イスラエルの内の二万四千人が倒れた。
 モアブは、誘惑を表している。それは、様々な形をとって襲ってくる。それはまず、人生の進路を阻む困難として、次に生活を蝕む呪いとして、最後に成功を目前にした誘惑として働きかけてくる。それらに打ち勝つには、不断の信仰が必要となる。
 エズラ記には、イスラエル民族が捕囚の地から故郷への帰還を許されて、そこへ戻って来て、エルサレムの城壁を立て直したことが記されてある。周りには常に敵がいて、彼らの都市の復興を邪魔しようと狙っていた。少しでも気を抜けば、敵が襲ってきて彼らの生活を破壊してしまう危険にさらされていた。これは、信仰の戦いに似ている。それと戦って勝利を収めるのは、並大抵のことではない。しかし、そのようにして城壁を再建し終わった彼らを待っていたのは、もっと手ごわい油断という敵であった。それは、彼らの内側にいて、常に働きかけ、夜も眠ることはなく、彼らをいつしか信仰から離してしまうのである。かつてイスラエルは、モアブとの戦いの中で、この油断という敵に負けてしまった。武力や呪いの力よりも、弱い女の誘惑が彼らを敗北へ陥れたのであった。
 しかし、モアブに象徴されるこの人生の敵にも、やがて神の裁きが望む。それが臨むとき、この敵はあっけなく滅び去る。もともと彼らは、手ごわい敵ではない。私たちがイエス・キリストへの信仰により武装するとき、敵のどのように巧みな戦略も、役に立たなくなるのである。

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