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2007/10/04

サタンへの裁き

イザヤ書 第14章

 歴代誌下の結末は、神が捕囚の民イスラエルを省みられ、その異境の地からもとの故郷へ連れ帰られることである。イザヤは、預言して言う、「まことに、主はヤコブを憐れみ、再びイスラエルを選び、彼らの土地に置いてくださる」。神がイスラエルを回復してくださるのは、「再度の選び」によると彼は言うのである。選びである以上、それは誰の功績でもあり得ない。神の主権によるのである。
 アブラハムを選び、その信仰ゆえに子孫の繁栄を約束された神は、彼への約束通り、400年後に彼らをエジプトから導き出し、乳と蜜の流れる約束の地を与えられた。しかし彼らはそこで近隣諸国と同じ様な王を求め、異境の神々に仕えたので、その国は分裂して互いに争うようになり、ついにアッシリアとバビロンにより征服され、民族の切り株しか残らないような状態になってしまった。そしてこのすべてが無くなって元のもくあみになってしまった様なところから、神の選びがまた始まるのである。神はなぜ今またイスラエル民族を選ばれたのだろうか。
 それは、イザヤによれば、神の怒りがバビロンに向けられたからである。イスラエル民族の罪は、一言で言えば姦姻の罪である。それは、偶像崇拝であり、むさぼりであり、弱さの罪である。しかし、バビロンの罪は、これとはまったく違う。それは、神を冒涜する罪であり、強さの罪なのだ。イスラエルは、異境の神に仕えた。しかしバビロンは、自分自身が神になろうとしたのである。神は、そのような罪を徹底して裁かれ、容赦されることはない。それは、天地創造から変わっていない。神は、アダムを誘惑して彼の祝福を奪い取ろうとしたサタンを裁かれた。そのような罪には情状酌量の余地はない。それはまた、バベルの塔の時にも現れ、またネロ、ヒトラーのように、人類の歴史の中に時おり悪魔的な野望として顕現し来たった罪である。
 この人類の歴史における影の支配者、この世界に死をもたらした者を、神はかつて天からこの地上へ投げ落とされた。それ以来、この地上は、悪魔の支配に服して今日に至っている。キルケゴールが言ったように、ほとんどの人は、この影の支配者サタンに目を眩まされて、機械のように人生の時間をする減らされながら、ただあの祝福のことだけは決して思い起こさせられることがないという状態にある。しかし、神はこのサタンに対して裁きを行われるとイザヤは預言する。そしてそれは、今から約二千年前に行われた。神は、イエスを十字架に架け、三日目に死人の中から甦らせ、罪に勝利されたのである。
 この地上において、クリスチャンは、サタンの力から開放された人々であり、彼らは信仰により罪に打ち勝つことができる。主イエスにあるクリスチャンは、サタンに対して、高らかに勝利を宣言することができる。そしてそのようにして、サタンの呪縛から解かれ、幻影から目を覚まされた者は言うのである、「これがかつて、地を騒がせ、国々を揺るがせ、世界を荒れ野とし、その町々を破壊し、捕われ人を解き放たず、故郷に帰らせなかった者か」と。

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