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2007/10/03

闇の子ら

ヨブ記 第24章

 ヨブは、自分を証人として、彼の見てきたこの世の不条理を語る。罪人が貧しく弱い者を虐げ、不正に富を手に入れていることを。彼らは、光の子らよりも賢く、その試みはみな成功する。貧しい者たちは、彼らのために労し、僅かな糧しか与えられずに、終わりのない重荷を背負わされている。いったい神は、それらをどのように見ておられるのだろうか。
 ヨブの友たちは、彼らは間もなくこの地で、その行った悪の報いを受けるという。しかし、ヨブが感じていることは、次の二つである。一つは、神がその惨状に心を留めてくださらないということ。もう一つは、そのような邪な連中は、暗闇で働き、光に来ようとはしないことである。そして、それのみが彼らの受ける報いなのであり、その損失は、測り知れないのである。

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キリストの苦難

ヨブ記 第23章

 ヨブは、テマン人エリファズと異なり、自分が神から造られた尊い存在であることを意識していた。彼は言った、「神は、わたしの歩む道を知っておられるはずだ。わたしを試してくだされば、金のようであることが分かるはずだ」と。しかし彼の苦しみは、大きかった。それは、そのように慈しみをもって彼を創造された神が、いま彼の大いなる苦難に際して、沈黙を守っておられるということへの疑問と恐れであった。
 ヨブにとって問題は、神に会えないということである。もし、神にお会いすることさえできたら、すべては解決するに違いない。彼は、神の哀れみと赦しを知っているからである。そして、それを知った者は、それを信じることができる。そして、それを信じる者は、それを受けるのである。
 しかしいま神は、彼から御顔を隠された、そして彼をすぐに滅ぼすことはせず、苦しむままに放置しておられる。それは、ヨブにとって悲しみであると共に、一つの希望でもあり得るのである。
 ヨブ記を読むとき、彼が体験した苦しみは、まさにイエス・キリストの体験された苦しみであることを知る。これほど、リアルに詳細にイエス・キリストの苦難を内面から書き表した書物が他にあるだろうか。

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