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2007/09/26

恐れるな

イザヤ書 第7章

 そのころ神は、アラムの王レツィンとイスラエルの王ペカをユダに差し向けてそこを攻めさせられた。ユダが神から離れ、御前に悪を行っていたからであり、それにより神はアハズに、神を畏れ、信頼することを学ばせ、ご自分の元へ立ち帰らせようとされたのだと思う。ここに書かれていることは、さながら士師記のようだ。すなわち、神を恐れない時代に、神が異邦の民をイスラエルに向けてけし掛けられた。しかし神は、同時にイスラエルを守る助け手すなわち士師を備えられ、彼らを救い出されたのである。そしてこれらのことは、神から離れたイスラエルを神が、再び御自身に向かわせようと計画されたことだったのである。
 神はイザヤに命じて、彼の息子を連れてアハズに会い、預言を語らせられた。二人がアハズ出会うとイザヤは言った、「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。アラムとイスラエルの攻撃は成功しない。しかし、あなたが信じなければ、それは確かなものにはならない」。そしてアハズが信じることができるためにイザヤは言い添えた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に」。そのしるしは、天か陰府において現れるのであって、誰の目にも明らかというわけではない。しかしアハズがそれを求め、信じようとするなら、それにより彼の信仰は確かにされることができるのである。アハズは言った、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」。しるしが与えられるということは、信仰者にとって心強いことであり、彼はそれにより、自分の行為に確信を持つことができる。しかし、信じていない者、神の介入を歓迎しない者にとっては、それは有無を言わせぬ服従を強いるようなものであり、驚異の対象でしかない。アハズは、このときすでにアッシリアへの援助要請をもくろんでいたのだろう。
 するとイザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」。これは、アハズに向けてではなく、「あなたたち」すなわち「ダビデの家」に向けて語られたものであり、遠い日における人類の救済のできごと、すなわちメシア誕生について預言したのであり、その同じメッセージは、700年も後に、天使から乙女マリアに向けて語られた。すなわち、「恐れることはない」と。
 イザヤは、続けて預言した。「私が連れてきたこの子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れている二人の王は勢力を奪われる」と。アハズは、目の前のあどけない男の子に尋ねたに違いない、「お前の名は、何というのか?」と。すると、男の子は言った、「シェアル・ヤシュブ(残りの者は帰って来る)」と。
 しかし、アハブは信じようとしなかった。そしてアッシリアの王に取り入り、救いを求めた。歴代誌によると、アッシリアの王ティグラト・ピレセルはアハズを援助するどころか、攻めて来て、彼を苦しめた。アハブは主の神殿、王宮、高官の家の財産を一部アッシリアの王に差し出したが、何の助けにもならなかった。

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