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2007/09/20

律法の意味の喪失

イザヤ書 第3章

 遙かな未来における栄光の回復とそこへの道しるべを語ったイザヤは、今度はイスラエル民族の現状分析とそれに対する叱責へと向かう。
 イスラエル民族は、信仰的には、その出てきた古い国エジプトへ戻ってしまった。彼らにはもはやモーセを通して与えられた重厚な律法は、意味を持たないものとなってしまった。彼らの判断は。すべてこの世の事柄であり、国を治めるのに、この世の富や権力が重要だと考え、それらを持っている人に初々しく頭を下げ、自分たちの上に立てて、何とかうまくやってもらおうと期待する。しかし、神の知恵のない者にどうして民を治めることができようか。結局彼が行うことは、まやかしであり、偽りであり、賄賂と党派心、汚職が日常となり、その浪費により国は貧しくなり、それらのことの付けがついに彼自身にまで及んでくることになる。
 神から離れた者には、すべてのことが意味を持たないものとなる。彼はそもそも、自分が生まれてきた目的すら分からず、それが自由だと勘違いする。彼にとって、レビ記に書かれている種々の戒めは、ただ彼を縛り付けるための鎖でしかない。それらは、実は大いなる祝福として神から与えられたものだったのに。それを呪縛と捉えるとは、いったい何という狂騒だろうか。そこで、まさに彼の考えのように律法は、それをもってして彼が神に裁かれる根拠となる。
 このときのイスラエルの状態は、この現代社会の状況と非常に似ているように思える。神から離れた人には、すべてが無意味であり、彼はすべての良いことと関わりを持たない。たとえ彼が良いことをすることがあったとしても、彼にはその意味するところが分からないので、彼はその結果としての祝福を受け取ることもできない。彼は、自分の成した良いことの報いとして、この世の幸福や富、地位等を求める。しかしそれらは、虫が喰い、錆が湧くようなものであり、ざるから滴る水のように、いつしか彼の手から失せ去ってしまうものでしかないのだ。だから、主イエスが警告されたように、今この世の富に満ちている人は、やがてそれらを主がご自分の元に取り返される日が来ることを思って、泣き悲しむべきである。
 その日には、主は飾られた美しさを奪われる。芳香は悪臭となり、帯は縄に変わり、編んだ髪はそり落とされ、晴れ着は粗布に変わり、美しさは恥に変わる。シオンの男らは剣に倒れ、勇士は戦いに倒れる。シオンの城門は嘆き悲しみ、奪い尽くされて、彼女は地に座る。

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