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2007/09/19

新たな歩み

イザヤ書 第2章

 神が語り出された第1章の言葉、すなわち創造の成果に対する大いなる嘆きに対してイザヤが応酬する。イザヤは、何を語るのか。それは、広大な歴史の到達点としての終わりの日であり、天地創造の対岸である。
 そこでは、「主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。」しかしその実現は、遠い将来、今の世代でそこに到達できる者はいない。それは正に、出エジプトの民に神が備えておられた約束の地のようである。
 イザヤは、そこへの到達方法を裁きの言葉により提示する。それは、彼らが再びその出てきたところエジプトへ戻ってしまっていたからだ。「この国は銀と金とに満たされ、財宝には限りがない。」ああしかし、かの日には、神がシナイ山の頂上に下って来られ、人々は目の前の光景に恐れおののいた。その臨在の前に、人間の高ぶる目は低くされ、誇る者は卑しめられ、主はただひとり、高く上げられた。
 彼らはやがて、再びその古い場所エジプトから出て行かなければならない。万軍の主の日が彼らに臨むとき、彼らの中の偶像はことごとく滅び去る。主が立って地を揺り動かされるとき、彼らが誇っていた金、銀、財宝、権力、栄華、それらがいかに空しいものであったかが明らかにされる。その日には、だれもが、ひれ伏すために造った銀の偶像と金の偶像をもぐらやこうもりに投げ与える。
 偶像を拝む者は、その偶像と一体となる。彼は、鼻で息をしているだけの者となる。しかし、神の言葉により、人の心が永遠に対して開かれ、与えられる希望に動かされて、現在の状況の中から出ていくということが起こるなら、彼には新たな歩みが与えられる。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。私たちはその道を歩もう。」とあるように。

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