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2007/08/22

幸福の手段

ヨブ記 第8章

 今度は、シュア人ビルダドが話し始めた。彼の信仰は、神は正しい方であり、人を故なく苦しめられることはないということである。このことの裏を返せば、人が正しく生きている限りは、神はその人に災いを下すことをなさらない。だから、人は安心して人生を歩めることになる。しかし、もしある人に災いが降り懸かることがあるのなら、それは神から来た一つの裁きであり、その人が神の前に罪を犯した結果なのである。
 だから、人が人生で成功したければ、神を信じ、その戒めを忠実に守ることが必要なのであり、そうしていさいすれば、彼は良い成果を成し遂げることができる。神が彼の人生を御手により導き、彼を幸福で満たしてくださるのである。
 しかし、シュア人ビルダドの考えを突き詰めて行くと、人は、神がどのように人を取り扱われるか、そして華々しくは神がどのように考え、行動されるかを予めある程度知っていられることにならないだろうか。そして、神がまるで自分の幸福実現のための手段のようになってしまうということはないのだろうか。

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