« 原始福音 | トップページ | 不可知論者 »

2007/08/22

絶望の苦しみ

ヨブ記 第10章

 ヨブは、神と本気で議論を始めようとしていた。それはほとんど、かつてヤコブが神と戦ったときのような様相である。しかし、あのとき、神はどうしてヤコブに勝利を譲られたのだろうか。ご自身が造られたものに負けられるとは。そこで、ヨブがこの議論に勝つとしたら、あのヤコブのようにしてであろう。
 ヨブの戦術は、徹底して神の前に自分を空しくすることであり、自分が創造された目的を問うものである。すべてのものは、神により、目的を持って創造された、これがヨブの確信である。だから、自分が造られたことにも必ず目的がある。神がこの自分を打ち砕かれようとするのは、自分の罪による以外にない。しかし、ヨブは神の前に自分の潔白を主張する。そこで、神がなぜヨブを打ち砕かれたのかは、不可解なまま残される。しかし、ヨブはその不可解な状況に耐えるべきではある。なぜなら、ヨブが今受けている苦難にも神の目的があるかも知れない、いやあるに違いないからである。しかし問題は、ヨブの今の状況が、彼に何一つ望みがない状況であることである。たとえ全財産が奪われても、そこから立ち直って充実した人生を歩むならば、それも神の栄光を現すことになるかもしれない。また、五体の一部が失われても、そのような条件下で神の栄光を現すならば、それも意味のあることかもしれない。しかし、今のヨブの状態は、どのようにしても神の栄光を現すことが不可能に思える状況なのである。彼に残された道は、ただひたすら我慢すること、こらえること意外にない。癒されて立ち直り、新たな歩みを始める可能性のない苦しみ、そのような苦しみの中にヨブはいるのである。というのも、彼が潔白である以上、どのようにすれば立ち直れるのか、見当がつかないからである。ヨブから見ると、神はただいたずらに彼を打ちのめされたように見えるのである。

|

« 原始福音 | トップページ | 不可知論者 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/59973/16206308

この記事へのトラックバック一覧です: 絶望の苦しみ:

« 原始福音 | トップページ | 不可知論者 »