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2007/08/31

預言と伝道

列王記下 第13章

 神の言葉の通りにイスラエルに裁きを行ったイエフが死に、その子ヨアハズが王となった。彼は神を畏れず、祭司職を重んじることもせず、一般の人を祭司に登用し、偶像の神を崇拝した。いわゆるヤロブアムの罪である。そのため神は、イスラエルをアラム軍の手に渡された。しかし、ヨアハズが神の前に自分の罪を告白すると、神はイスラエルをアラム軍の手から救い出された。神は何と、イスラエルの回心を心待ちに待っておられたのであった。
 しかしイスラエルは、その後もヤロブアムの罪を犯し続けたので、再びアラム軍の前に衰退の一途をたどって行った。ヨアハズの子ヨアシュもまた、ヤロブアムの罪を犯し続けた。そのようにイスラエルには、自分たちの神への正しい信仰に戻るという強力な解決方法を提示できる者がいなかった。実に驚くべきことに、王も軍人もみな自分や隣国の力等にのみ頼ろうとしていたのであった。神に頼るということ、それは、一人になることである。そして神と一対一の関係になることである。ヨアハズは、かつて一度だけ神とこの一対一の関係になった。そのとき、神はヨアハズの願いを聞かれた。しかし、イスラエルは再びヤロブアムの罪に落ちて行った。ヤロブアムの罪とは、いわば、神から目を背け、人々だけで団結というか、なあなあな関係を結び、なんとかうまくやって行こうというものである。
 あるときヨアシュ王は、アラム人に虐げられているイスラエルの窮状をなんとかしようと、預言者エリシャのところへ下って行った。彼はこのとき、神との一対一の関係を求め始めていたのかもしれない。しかし彼がエリシャの元へ行ってみると、なんとエリシャは死の病を煩い、床についていた。神はエリシャに、ヨアシュが射る矢の回数だけ、ヨアシュはアラム軍を打ち破るだろうと告げられた。そしてヨアシュに地面に向けて矢を射させた。彼は、ヨアシュが矢を射る前に、彼にこれがアラムに対するイスラエルの勝利の矢であることを語っていた。しかし、ヨアシュが3度地面を射てやめてしまったので彼は怒って言った、「五度、六度と射るべきであった。そうすればあなたはアラムを撃って、滅ぼし尽くしたであろう。だが今となっては、三度しかアラムを打ち破ることができない」と。しかし、エリシャは忘れていた、神が災いを思い返されるお方であることを、あのヨアハズのときのように。エリシャは、神から油注ぎを受けていたが、神との親密な関係を築いていなかったので、ヨアシュに対してただ予言するのみで、神との関係の回復を提示することができなかったのだった。そして、ヨアシュは、エリシャの予言通り、アラム軍を3回だけ打ち破ることができた。
 私たちは、エリヤやエリシャ以上の預言者になることが求められている。例えエリシャのようにエリヤの2倍の油注ぎをもらっていなくてもである。それは、この世界に生きる友や家族に対して、神の思いを伝え、彼らを正しい道に引き戻すこと、すなわち、伝道なのである。

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