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2007/08/30

俗な信仰

列王記下 第12章

 ユダの王ヨアシュは、小さいころから祭司ヨヤダの教えを受けて育ったので、基本的に神の神殿や儀式を重んじる人であった。彼は、神殿で捧げられる献金を忠実に神殿の補修のために用いるように心を配った。しかし、彼は神を愛する心からそれを行ったのではなく、何か、こうあるべきだというような義務的な考えからそれを行っていたようだ。そこで、彼の目には、神殿も聖なる高台も、共に不可知なるものを認め、敬意を呈する場所に過ぎなかった。彼は、神を知っている人に育てられながら、彼自身は神を知らなかったのだろう。それは、彼が小さいときに、女王アタルヤを避けて神殿の中にかくまわれていたことにも関係しているのかも知れない。彼は、神殿という聖なる場所で、あるいは祭司たちの言い争いや、俗な話しをも聞いてしまったのかも知れない。それは、今日の教会にも有りがちなことであったが、純真な子供心を躓かせるには十分であったのかも知れない。
 そこで、歴代誌によると、祭司ヨヤダが死ぬと、彼は心のよりどころを失い、ユダの高官たちの要請を受け入れ、再び異境の神の信仰を持ち込むようになった。それに対して、神はアラムの王ハザエルを再び奮い起こされた。ハザエルは、イスラエルをいたるところで侵略し、ヨアシュ王は、その解決のために、先祖であるユダの王ヨシャファト、ヨラム、アハズヤが聖別したすべての聖なる物、自分自身が聖別した物、および主の神殿の宝物庫と王宮にあるすべての金を取り出し、ハザエルに送ったのでハザエルはエルサレムを離れて行った。
 しかし、万事につけ、そのような軟弱な対応に対して、家臣たちがヨアシュ王に謀反を起こし、彼は殺されてしまう。そして、その子アマツヤが代わりに王となった。

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購い主

ヨブ記 第19章

 シュア人ビルダドの脅しにヨブは屈しなかった。ヨブは、ビルダドに対して、脅された者にふさわしく、弱い者としての反撃をした。
 しかし次の瞬間、ヨブはビルダドとは比べ物にならないほどの勇気を持って、神の非を宣言し始めたのであった。「神がわたしに非道なふるまいをし、わたしの周囲に砦を巡らしている」と彼は言った。そして、それゆえに神は、ヨブの叫びにも答えられないのだと彼は主張した。ヨブの強さは、徹底的に虐げられた者としての強さである。彼は、自分がそのような取り扱いを受けるべきでないのにそれを受けているという真理を手に握っていたのだ。
 しかし一方で、ヨブは自分に不当な取り扱いをする神に対して、どうすることもできない。神が彼の敵となられたからには、ヨブにはまた、どのような希望もないのである。ああ、しかし、ヨブには、確信があった。彼が正しいという確信である。神が敵である今、彼のその確信は、何の役にも立たないのであるが、それでも、ヨブはそれを持ち続けるべき価値のあるものと主張するのである。「わたしの言葉が書き留められるように、碑文として刻まれるように。たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され、いつまでも残るように」と彼は言う。
 ヨブにとって、神が敵となっていることと、神が正しい義なる方であるということは、共に心理である。そして、前者ではなく、後者に彼は望みを置いているのである。そう、神が彼の敵であるからと言って、神が義なる方ではなくなることはぜったいにないのだ。「わたしは知っている。わたしを購う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。」神が義なるお方である限り、そしてそれは永遠に不変の真理であるゆえに、彼は彼の存在が消え去る以前に、彼の目で神を仰ぎ見なければならない。そう、彼の購い主としてである。

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