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2007/08/19

両親の救い

 私が父の受洗経歴を知ったのは、大学3年のクリスマスに自分の受洗希望を父に申し出たときだった。そのときの会話によると、父は戦時中の憲兵時代、キリスト教徒摘発に従事していたときに、自ら聖書の真理に目覚め、洗礼を受けていた。しかし、私が生まれるころには、すでに信仰から離れてしまっていたらしい。その後私は、大学を卒業、就職し、結婚、子供も3人与えられ、人並みの生活を営んできたが、父の信仰回復は、いつも私の願いであった。
 しかし、長男が大学に入学し、ほっと一息ついた年に、父がすでに末期癌で余命僅かであることが判明した。いままで、自分の仕事や妻との関係、子供の教育、教会活動等に明け暮れて、父の救いのことを後回しにしてきたことを神に告白し、十何年ぶりかに、父の救いを真剣に神に願い求めた。
 神は祈りの中で、私に一つのことを示された。それは父の枕元で、息子、娘たちに、交代で聖書を朗読させることであった。「どこを読むべきでしょうか」と伺うと、「創世記」と示されたように思えた。しかしそれは、私には好ましいようには思えなかった。「神様、創世記は私も大好きですが、父の余命はあと僅かです。今、創世記から読み進んでいては、救い主イエス・キリストが出てくるまでに何年かかることでしょう」と申し上げた。しかし、祈るほどに、「創世記、創世記」と神は言われているように思えた。そこで、「神様、分かりました。あなたのおっしゃる通り、創世記から読みましょう」と祈り、私自身を含めて、息子たちに1章づつ順番を割り当てた。10章まで読み進んだ日の深夜、父の容態が急変し、救急車を呼んだ。しかしその翌日、父は集中治療室のベッドで、信仰を告白したのだった。そしてその翌日、母の見守る中、父は静かに天に召されて行った。神は、私たちの願いを聞き、最後のときに父に改心を与えられた。
 父の信仰告白を聞いていた母の意向もあり、葬儀はキリスト教式で行われた。小さな教会堂に、たくさんの人が来てくださった。母も親戚も、キリスト教式の葬儀に好感を持ってくれたようだった。しかし、キリスト教には、位牌というものがない。葬儀会社の責任者は、クリスチャンであったので、このことを配慮してくれて、母に位牌の代わりに、きれいな写真立てと十字架の置物を下さった。しかし、キリスト教式で葬儀をしたことは、田舎の寺の住職を怒らせることになり、納骨もままならない状況となってしまった。そこで父の骨は、私たちの教会の共同墓地に納骨されることになった。
 その後、母はどうしても毎日が手持ち無沙汰のようで、父の位牌がほしいと言った。そこで私は、母を車に乗せて位牌を作りに行った。父の本名を刻んだ小さな位牌を受け取り、母はやっと落ち着いたようであった。
 父が天に召されてから、1年が過ぎようとしていたとき、母が父の1周忌をやらなければと言いだした。母はこれで、祭儀らしいことは、一切終えようと思っているようだった。私は、近くの斎場を手配し、親戚への連絡葉書を印刷した。親戚もそこに集った。
 それからしばらくして、母を車にのせて、父のお墓参りに行った。私たちの教団の共同墓地は、富士霊園の中にあった。そのとき、母の兄夫妻も一緒に行ってくれた。私は、墓の前で父の遺品のハーモニカで讃美歌を奏き、父は今天で暮らしており、私たちはまた父に会えると伝えた。そのときは、墓石には父の名前はまだ刻まれていなかったが、それからしばらくして、教団の墓地委員会から墓石への刻名の申込書が送られてきた。私は、それを申し込む時に、刻まれる父の名前の隣に一行空けておいてくれるよう依頼した。
 あるとき、また母を車にのせて買い物に行っていた。買い物が終わって、ちょっとコーヒーを飲んでから帰ろうということになり、フードコートでくつろいでいたとき、先日のお墓参りの話になった。私は母に言った、「お婆ちゃんは、将来どこのお墓に入りたいの?」すると母が言った、「お爺ちゃんと同じところでいいよ」。ハレルヤ!神様、感謝します。あなたの「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」との御言葉は真実です。これで、ゴールは決まった。あとは、そこへどのようにして到達するかだけということだろうか。神様にますます祈り求めて行きたいと思っている。

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預言者の責任

列王記下 第8章

 神はかつて、アハブ王の時代に、その時代の背信に対して、エリヤを通して3年間の干ばつを到来させられた。そして今度はヨラム王の時代に、イスラエルに7年間の飢饉を起こすことをエリシャに告げられた。神は、そのようにして、背信のイスラエルを苦しめることにより、悔い改めに導こうとされ、その苦難の意味を伝えるために預言者を遣わされたのであった。しかしその干ばつの時にエリヤは、神のご計画の意味を時の王アハブに告げることをしなかった。そして今度もエリシャは、かつてその子供を生き返らせたことのある婦人に、どこかへ避難しているよう指示しただけであった。これらのことから、預言者は、ただ神から語られた裁きを伝えれば良いのではないことが理解される。預言の言葉は、神から直接与えられる。しかし、預言者はそれをそのまま語るのではない。それを語るのは、預言者の人格なのだ。もちろん預言のシステムとしては、預言者の口を通して、預言者がすべてを理解しないうちに、連続した言葉として、次々に預言者の口に与えられる。彼は、どのような言葉が自分の口から出てくるのか、予め知っているわけではない。それは、大雑把に言えば、くしゃみのようなものであり、彼はそれを半自動的に語っている。しかしまた一方で、それは彼の心の奥底から口に流れ来るまでに、本の一瞬、彼の意識を通過する。そしてそれに加えて、彼自身は、自分が今まで語ってきたことを自ら聞いているのである。そこで、次に彼の口に到達しようとしている言葉を語ることを拒否するということも、彼には可能なのである。そして、これは非常に不可思議なことなのだが、彼にそのような自由を与えられたのも神なのである。そして、それゆえに彼に責任が生じるのである。
 エリシャは、イスラエルの王に、この7年間という長い間の飢饉の意味を語るべきであった。しかし聖書には、彼がそれを語ったとは書かれていない。それにも関わらず、イスラエルの王は、この7年間の飢饉に対して、神を恨むようなことをせず、神に少しは心を向けたようであり、その苦難が過ぎ去ったとき、預言者エリシャの従者ゲハジに話しかけ、エリシャの行った大いなる業をすべて語り聞かせてもらっていた。ゲハジはこのとき、師からかつての行いを赦されて、ライ病から癒されていたようだ。
 神はエリシャを、アハブの家を絶つために召された。そしてその実現がいま始まろうとしていた。神はかつてエリヤに、ハザエルとイエフに油を注ぎ、それぞれアラムとイスラエルの王にせよと命じられた。そして今またエリシャに、彼らに任職の油を注ぐことを命じられるのである。ときにアラムの王ベン・ハダドは病気であったが、神の人エリシャが近くに来たことを聞き、側近のハザエルに、エリシャの所へ行き、自分の病気が治るかどうか尋ねさせた。エリシャの元へ行ったハザエルは、エリシャから王の病気が治ることと併せて、王の命とイスラエルの覇権が今彼の手中にあることを知らされた。ハザエルは、それまでそのようなことを考えたこともなかったが、王の側近であった彼の心の奥には、いつのまにか王権への憧れが育っていたのだろう。その制圧されていた意識がエリシャの言葉により一気に噴出して来ることになった。彼は王の元に帰って、病気が治ることを告げたが、翌日、病床の王を暗殺し、自ら王となった。
 一方ユダにおいては、ヨシャパテ王が死に、その子ヨラムが王となった。彼はアハブの娘を妻としており、アハブの家が行ったように悪を行った。このヨラムの時代に、それまでイスラエルに仕えていた隣国のエドムとリブナが反旗を翻してその支配から脱した。ヨラムは、その悪行の報いを受けて、不治の病に苦しみながら世を去った。そして、その子アハズヤが王となったが、彼はアハブと姻戚関係にあったものであり、アハブの家の道を歩み、主の目に悪とされることを行った。

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