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2007/08/16

迷い

列王記下 第3章

 イスラエルの王アハブが死ぬと、モアブの王はイスラエルに反旗を翻し、貢物を納めなくなった。そこでアハブの子ヨラム王は、イスラエルの預言者を招集して、「モアブを攻撃すべきでしょうか」と聞き、彼らに「攻撃して勝利を得てください」と言わせることによりイスラエルの全軍を召集し、モアブ制圧に出発した。彼は、ユダの王ヨシャパテにも支援を依頼し、さらにモアブの隣国エドムをも味方につけてモアブに戦いを挑もうと出かけた。そのためには、イスラエルから南下してユダと合流し、死海を南から迂回してエドムを巻き込むルートをとる必要があった。ヨラムはそのように机上の戦略には長けていたのだろう。しかし実際に軍隊を進めていくと、死海を迂回するのに7日を費やすことになり、部隊と連れてきた家畜のための水が底をついてしまった。彼は、ユダやエドムを巻き込んでいた手前、後に引けなかったが、いつもの通り、都合が悪くなると神の勢にして、「ああ、主はこの三人の王をモアブの手に渡すために呼び集められたのか」と言った。
 ヨシャパテが「ここには我々が主の御旨を尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と尋ねると、ヨラムの家臣の一人が、「ここには、エリヤの手に水を注いでいた、シャファトの子エリシャがいます」と答えた。そこで、ヨラムは他の2人の王を引き連れてエリシャの元に下っていった。エリシャは言った、「わたしはあなたとどんなかかわりがあるのですか。あなたの父の預言者たちや母の預言者たちのもとに行きなさい」。しかしヨラムはまた神を持ち出して、「いいえ、モアブの手に渡そうとしてこの三人の王を呼び集められたのは主だからです」と言った。エリシャは言った、「わたしは、ユダの王ヨシャパテに敬意を抱いていなければ、あなたには目もくれず、まして会いもしなかった」。
 エリシャがヨラム王の見たこともない方法で神の御旨を求めると、神はエリシャに言葉を与えられた。『風もなく、雨もないのに、この涸れ谷に水が溢れる』。エリシャは言った、「これは、主の目には小さいことである」。主は時に、人の目に驚くべき奇跡を行われる。ヨラム王は、それを目当てに下ってきたのだが、そのような目先の利益を追っていたのでは、神の大きなご計画は見えなくなってしまう。神の大きなご計画とは、ユダの家にダビデのともし火を燃え続けさせることと、預言者により、イスラエルを導くことである。その点では、エリシャも神のご計画を見失いかけていたのだろう。彼は、イスラエルの預言者として召されていたのだから。神は、エリシャを通して、イスラエルがモアブを打ち破り、そこを荒れ果てたところとすると語られた。しかし、エリシャは言葉を変えて言った、「主は、モアブをあなたたちの手にお渡しになる」。これは主の目には、小さいことである。しかし、イスラエルの勝利は、主の目に小さいことではない。エリシャの言葉の通り、イスラエルとユダ、エドムの連合軍は、モアブを打ち破り、町を破壊し、すべての肥沃な耕地を石で満たし、すべての泉をふさぎ、すべての有用な木を切り倒した。しかし、モアブの王は、戦いが自分の力の及ばないものになってきたのを見て、剣を携えた兵700人を引き連れ、エドムの王に向かって突進しようとしたが、果たせなかった。そこで彼は、自分に代わって王となるはずの長男を連れてきて、城壁の上で焼き尽くすいけにえとしてささげた。イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルはそこを引き揚げて自分の国に帰った。
 イスラエルはこの戦いで結局勝利を得ることはできなかった。それはもはや勝っていた戦いであったが、モアブの土壇場での決死の反撃の前に彼らは、戦意喪失して引き上げたのであった。なぜそうなってしまったのか。それはエリシャが、神の言葉を曲げて伝えたことによるのだろう。もし彼が、自分はイスラエルの預言者であるとの自覚をしっかり持っていたなら、ヨラムが彼の元に来たときに、まず少なくともエドムとの連合体制に異議を唱えるべきであった。それは神の聖なる戦いであるべきだったし、エリシャに与えられた神の言葉は、イスラエルに対するものであったのだから。

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