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2007/07/28

油注ぎ

列王記上 第19章

 バアルの預言者との対決を終えて、郷里のティシュベに戻ったエリヤは、疲れ果てていた。彼は全速力で走るアハブの車の前を、カルメル山頂からイズレエルの境まで、何十キロもの道のりを、神の霊に振り回されて走って来たのだから。エリヤにその力を出させたのは聖霊の炎であったが、それによりエリヤ自身も己の身を焦がすことになったのである。そのように彼は、対決における勝利と待ちわびた降雨の到来に有頂天になり、不用意に神の霊に身を委ねてしまったのであった。
 このときエリヤは、以前のような神との関係を見失っていた。彼の上にあった神からの油注ぎは無くなっていた。それは、彼がアハブとの関係で、預言者の勤めを怠ったからである。彼は、バアルの預言者との対決に気をとられ過ぎていた。彼はアハブ王に、「上って行って飲み食いしなさい」と言ったが、その言葉は預言ではなく、この3年間の飢饉の意味をないがしろにしたものだった。それは、モーセが荒野で、岩から水を出したときに、持っている杖で3度岩を叩いたことと同じである。この一事により、エリヤはかつてのモーセのように、後継者に神の務めを譲ることになる。
 アハブがエリヤの行ったことをイゼベルに告げると、エリヤは彼女の脅迫を恐れて逃げた。彼は、ユダのべエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し、自分は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。しかしついに彼は力尽き、一本のエニシダの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った、「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」。彼は、すべてをなくし、自暴自棄になっていた。しかし神は、御使いによりエリヤに食物と飲み物を与えられ、彼はそれに力づけられて、40日40夜歩き続け、ついに神の山ホレブに到達し、夜を過ごすために、そこにあった洞穴に入った。見よ、そのとき初めて彼に、「エリヤよ、ここで何をしているのか」という主の言葉が聞こえた。エリヤは今、神の前から迷いだした一匹の羊となっていた。「迷える羊」、それは罪を犯したアダムの姿であり、あのときも神はアダムに「あなたはどこにいるのか」と声をかけられた。それは、裁きの宣告であると共に、創造主から被造物への受容の声色でもある。
 迷い出たエリヤの旅は、神を再び探し求める旅であった。それは耐え難いものだったが、ついに彼はそれをやり遂げた。神の元から迷い出てしまった人は、神の元に自分の努力や修練で戻ろうとすべきではない。もしあえてそうするなら、それは40日40夜にも及ぶ荒野の旅となるかもしれない。しかし神は、いつも彼に声を掛けられているのだ、「エリヤよ、ここで何をしているのか」と。彼が自分に固執せず、神に心を開くなら、それが聞こえただろう。
 そのとき彼は初めて悟った、神は嵐の中にも、地震の中にも、また火の中にも、つまり本当は、どのような試練の中にもおられないということを。そして、神は実に、あなたの心の奥底におられるのであり、あなたが神にお会いするのは、静かな祈りの中においてであるということを。そのとき神はエリヤに何を語られたのか。おお、それは、エリヤがずっとずっと待ち望んでいたものであった。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。」これこそ、これこそ、彼が預言者として待ち望んでいたもの、神のうるわしい命令であった。神は彼に、成すべきことを授け、将来起こるべきことを告げた。また、その命令の中で、エリヤの後継者エリシャを示した。彼は、モーセに対するヨシュアであり、エリヤの成し遂げられなかったことを行うために新しく神が立てた器であった。

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