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2007/07/25

対決

列王記上 第18章

 3年後に神は、エリヤを再びアハブ王のところに遣わされた。サマリアは、ひどい飢饉に見舞われていた。アハブは、自分の前に姿を現したエリヤに危害を加えることはできなかった。エリヤがこの飢饉の原因であると同時に、解決の鍵をも握っていることを知っていたからである。神は、人の思いや権力を越えた力で預言者を守られる。このときエリヤを守っていた神の力は、3年間の干ばつを引き起こした、実にアハブ王の預かり知らない宇宙的な力だったのである。エリヤはアハブに、450人のバアルの預言者、400人のアシュラの預言者と共に、イスラエルの全会衆をカルメル山に集めるように依頼した。
 カルメル山頂でエリヤは、集まったすべてのイスラエル人に近づいて言った、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」世の人々は、自分のしていることが分かっていない。自分が異教の神を熱心に礼拝してはいないからと言って、彼が偶像崇拝をしていないことにはならない、ということが分かっていないのだ。エリヤはそのとき、人は主に従うか偶像の神に従うかのどちからしかないのだということを指摘したのであり、そのように預言者は、人々と神の間に立ち、決断を迫るのである。
 エリヤとバアルの預言者の対決が始まった。預言者は、この対決のために生きていると言っても過言ではない。彼の生涯は、この対決に勝利するためにある。そしてその為に彼は、他のすべてを犠牲にする。かく預言者の生涯は、神の前に浪費され、捧げられているのであり、それゆえ彼は、対決において勝利するのである。
 エリヤは言った、「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は450人もいる。」しかし、彼の勝利の鍵は、実はイスラエルの全会衆なのである。つまり、彼の救済の対象こそが、また彼の味方なのである。それは、彼らを創造されたのは神であり、預言者は、その対決者との間で、奪い合いの対決をしているのではなく、捕虜になっている味方を救済するのであり、彼らは救済されると速やかに戦列に復帰し得るのである。エリヤは、カルメル山頂での彼らとの対決に勝利し、改心した民衆と共に偽預言者850人あまりを捕らえ、キション川に連れて行って殺した。
 いまあなたが、教会で伝道を担っているなら。あるいは、例えそうでなくても、神から心に伝道への重荷が与えられているなら。あなたが伝道に出て行くとき、そこに協力者が殆どいなくても、嘆いたり落胆したりするには及ばない。なぜなら、あなたの協力者は、あなたの伝道しようとしている、まさにその人であり、あなたの伝道を通じて、神がその人を即座に霊の強者に変えられるのをあなたは見るであろうから。
 神がエリヤに告げておられたように、いまや3年間の干ばつは終わり、大雨がやって来ようとしていた。しかしエリヤは、神の前に熱心に祈っていた。彼に与えられていた神の言葉と確信にも関わらず、彼は、自分の祈りによらなければ、何事も起こらないことを知っていたのである。そして彼が祈り始めてしばらくしてから、大雨がやって来た。それが来るのは確実であったが、それを来たらせたのは、エリヤの祈りであった。神は、かく預言者と共に働かれるのである。

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