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2007/07/24

預言者

列王記上 第17章

 イスラエルに偶像崇拝が蔓延し、歴代の王が自ら異教の神々の神殿を建て、その前にひれ伏すに及び、神はご自身のために預言者を立て、お遣わしになった。このころと同様、現代社会にも偶像が蔓延している。列王記は、預言者の書である。神は、これを読むあなたが、現代の預言者となるためにこれを書かれたのである。
 ティシュベ人エリヤは、アハブ王のところへ行って言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」
 彼は、らくだの毛衣を着、腰には皮の帯を締めていた。その風変わりな出で立ちと、死をも覚悟した形相に、さすがのアハブ王も少したじろいだことだろう。エリヤがそのようにして、アハブ王の前を無事に出ていくと、彼に再び神の言葉が臨み、彼を郷里ケリト川のほとりへと退かせた。エリヤはたぶん、その川のほとりで、かつて神から預言者としての訓練を受けたのだろう。それは、人里から離れて、一人静思の中で神に向かう毎日だっただろう。しかし、今度はかなり様子が違っていた。彼の周りの自然は生気を失い、口にできる何物もなく、不気味なカラスが彼にパンと肉を運んできた。しかしやがて川の水は枯れ、生きていく最後の望みもなくなった。預言者は、死に至るまで神に従う人である。エリヤはそのとき、自分の郷里で人知られずに滅びうせようとしていた。
 あなたはいま、信仰者として神の訓練を受けているだろうか。そしてそれは、うるわしい静思の時を通じてであろうか。もしそうなら、神はまだあなたを遣わされてはいない。しかし、やがてあなたの周りの状況が一変し、それらが牙を剥いてあなたに襲いかかってくるときが来る。そのときあなたは、神があなたを遣わされたことを知るのである。
 そのとき神は、再びエリヤに声をかけられた。「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」預言者は、一人神の前に立つ人であると共に、また人々の直中で生きる者でもある。神は、イスラエルの僻地サレプタに助けが必要なやもめ一人を見いだし、そこへエリヤを遣わされたのだった。
 預言者は、その語る神の言葉により状況を変える力を持つ。それは、彼が神の御心を行うためであり、また彼と共にいる者が、神の栄光を見るためでもある。エリヤが語った言葉は、そこの状況を一変してしまった。しかし、それを知っているのは、そのやもめとエリヤだけであった。
 ああ、あなたがもしこの現代社会の直中にあって、主の預言者として遣わされたいと願うなら、あなたは逆に、すべての望みをすて去らなければならない。あなたはまず、エリヤのように人里はなれたところに退き、そこで無一物のようにならなければならない。その後に、神はあなたを一人の夢も望みもない人のところへ遣わされる。それがすべての始まりである。もしあなたが信じるなら、たとえそのようなところでも、神の大いなる栄光があなたの手によって現される。なぜなら、もしあなたが預言者なら、あなたがいるところに神も一緒におられるからである。

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