« 2007年7月16日 | トップページ | 2007年7月18日 »

2007/07/17

偶像崇拝

列王記上 第14章

 その後、ヤロブアムの幼い息子が病気になった。彼は、自分の妻を変装させて、シロにいる預言者アヒヤの元に遣わした。彼は、その病気が主から来たことを知っていた。しかもそれが、神の裁きであることも感じていた。しかし、幼子の癒しを主に願おうとは思わなかった。これは、神に背を向けている人すべてに共通する心境だろう。それは、キルケゴールによれば、悪魔の心境でもある。つまり、自分は間違っており、しかも神より弱い存在であることを知っていながら、翻って自分の考えを変えることができないのであり、そのような悶々とした意識の中で、悔い改めるどころか、ますます傲慢になって行ってしまうのである。
 主は、ヤロブアムの妻が来ることを事前にアヒヤに告げ、彼に裁きの預言を授けられた。ここに神の心中を伺うことができる。神は、ご自身が選ばれた器に対して、直接裁きを告げるに忍びなかったのだろう。主イエスもイスカリオテのユダに対して、同じようにして、嘆きつつ裁きを告げられた。神がアヒヤによってヤロブアムの妻に告げられた通り、その幼子は、その日に死んだ。しかしそれは、預言された時、すなわちヤロブアムの妻が町に入ったときではなく、家の敷居を跨いだときであった。ここにも神のためらいが感じられる。神はヤロブアムが悔い改めれば彼を赦し、幼子の命を救おうとされておられたのだと思う。それが神の選ばれた者への哀れみなのだ。しかしまた一方で、ヤロブアムは悔い改めることができなかった。彼の心は、神よりもこの世を愛し、意図的な偶像崇拝に染まっていた。彼が偶像の神を自ら信じていたというのではない。彼はそれを、民を治める手段として自ら推進した。そして、それゆえにもう、引き返すことができなくなってしまったのであった。そしてそれは再び、彼が偶像崇拝を始めたことによるのである。
 一方、レハベアムの母は、アンモン人だったので、その子レハベアムは、異教の慣習をユダに持ち込んでしまった。。ユダの人々は、アシュラ像を作り、あらゆる高い丘の上と、茂った木の下に、聖なる高台を築いた。そこで主は、エジプトの王シシャクをエルサレムに攻め上らせて、神殿と宮殿の宝物を奪い去らせられた。そのようにして、ソロモンによって築かれた統一国家と神殿における信仰は、いまやイスラエル民族の全体において、完全に崩れ去ってしまったのであった。しかしイスラエルの中に、神の灯火が消えてしまったのではなかった。神はかつて、預言者アヒヤに言われた、「わたしの名を置くためにわたしが選んだ都エルサレムで、わが僕ダビデのともし火がわたしの前に絶えず燃え続けるようにする」と。神はこのときも、またこの後もずっと、ソロモンが建てた神殿に留まられ、そこで民の不信仰、偶像礼拝に耐えられたのであった。そしてこの神の忍耐は、実に350年以上も後のバビロン捕囚まで続くのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月16日 | トップページ | 2007年7月18日 »