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2007/07/05

ソロモンの知恵

列王記上 第3章

 ソロモンがギブオンにある聖なる高台で、主に一千頭の犠牲をささげたその夜、主がソロモンの夢枕に立って言われた。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」主は、彼が行ったことの意味を知っておられた。王に成りたてのソロモンは、ただこのことすなわち主の前に犠牲を捧げることだけに確信を持ち、それを最大限の努力で行ったのである。彼は、犠牲を捧げるための最良の方法さえ知らず、それまでの風習に従い、神殿ではなく高台で犠牲を捧げた。それは、父ダビデが、神の箱をシオンに駆き上るときに、箱を担ぐ者の足が6歩進んだときに彼が肥えた雄牛を犠牲として捧げたのに似てしかも勝る捧げ物であった。そして神は、それゆえソロモンに賜物を授けたいと思われたのである。ソロモンがそれを受けたなら、それを最大限に用いてイスラエルを治めるであろうことを主は知っておられたからである。
 ソロモンは、財産や長寿、敵の命ではなく、国を治めるための知恵を主に求め、そして与えられた。これこそ、彼の父ダビデがその生涯を通して探し求めたが得られなかったものであった。しかしソロモンは、この知恵を自分で捜し求めたりはしなかった。彼は、それを主に願ったのであり、知恵はすべて、神のもとから来るのである。
 ソロモンが主から受けた知恵とは、どのようなものだったのか。あなたはこれを知らなければならない。それは、洞察力でも理解力でも、また創造力でもない。それは、裁きなのであり、その時々の状況から最善の策を導き出すのでも、新しい何かを作り出すのでもなく、天地創造以前に神が定められていたことを宣言するのである。この知恵に対抗できるものは、この世界には存在しない。なぜなら、この知恵は、時間の外にあるものであり、この世界の一切と接触をもたないからである。しかしこの力は、この世界のすべてのものから触れられずして、すべてのものに関わることができるのである。もしこの力を持っている人がいたら、その人に対抗できるものはない。彼は、すべてのものに勝る。それは、ダビデが与えられていた油注ぎに通じるところがある。ダビデは、その出て行くところどこででも勝利した。しかし、ソロモンの場合は勝利ではなく優越なのであり、戦わずして勝つこと、すなわち時間を越えた知恵なのである。
 しかしあなたは、さらにこのことを知らなければならない。この知恵、ソロモンが与えられていた麗しい賜物は、今日イエス・キリストと共に、あなたのものだということを。あなたは、この知恵を受けるために、もはや一千頭の雄牛を犠牲として捧げる必要はない。それらに勝る御子の肉と血が高台であるところの十字架上に、すでに捧げられたからである。あなたが行うべきことは、ソロモンのように主に願うことである。なぜなら、あなたはキリストと共にすでに王となっているからであり、信仰の中であなたは、それがすでにあなたの内にあることを見出すからである。

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父の教訓

列王記上 第2章

 ダビデは死に際して、王子ソロモンを戒め、雄々しく勇ましく神の掟と戒めを守って歩むことを命じると共に、ヨアブとシムイが行った悪に報いるように申し送った。ダビデがソロモンに引き継いだものは、この2人への復讐だけであった。
 人は、聖書を読むときに、「そこに何が書かれているか」ということに目を奪われ易い。しかし実は、それと同じくらい、「そこに何が書かれていないか」ということが重要だと思う。つまり、ダビデが彼の人生で知り、学び、あるいは悟ったことの中で、彼がその子ソロモンがこれから国王として生きて行く上で伝えておくべきだと思えることは何もなかったということなのである。人は、自分の生涯で、様々なことを学び、悟るものかもしれない。しかし、彼が父親として、その子に語り伝えるべきことは、彼が学んだことではなく、ただ主への信仰だけなのである。
 かくして、王子ソロモンは、父ダビデから言われた復讐を、自分のやり方で成し遂げた。兄アドニヤが父ダビデの最期の側女を自分の妻とすることにより、弟ソロモンに対する発言力を獲得しようとして失敗したことを発端に、ヨアブが失脚、殺害され、ヨアブと共にアドニヤに組したアビアタルも祭司職を剥奪され、ベニヤミン人ゲラの子シムイも、外出禁止令を破ったことにより死刑に処された。このようにして、ダビデの統治時代の遺物はすべて払拭され、ソロモンが国を引き継いだのであった。

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