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2007/07/03

勇士たち

サムエル記下 第23章

 ダビデが語った最後の言葉には、彼の次の世代への期待が込められていた。彼は、自分ではそれを成し得なかったが、彼の子がそれを実現する希望を与えられていた。それは、神から与えられる知恵によってイスラエルを治めることである。ダビデがこの希望を持ち得たのは、彼が、その詩作において神から与えられた麗しい言葉を持っていたからであり、また、戦いに出て行く正にそのときに、彼に注がれる、神からの油注ぎの感触を知っていたからであった。
 旧約聖書の記事は、みな象徴的な意味を与えられている。創世記は、私たちの個人的な起源と原罪について、出エジプト記は、そこからの脱出を、ヨシュア記は、神の国への突入について、そしてサムエル記は、神の国における戦いについてそれぞれ書かれていると思う。ダビデは、戦いの生涯を生きた。それは、この地上の神の国を生きる私たちに、その指針と具体的な励ましを与えるためである。
 私たちの人生には、多くの困難がある。男であれは、社会には常に7人の敵がいる。その中の一人は、あなたにとってサウルのような存在かもしれない。彼がいる限り、あなたに出世の道はない。しかしあなたは、組織の中で彼を敬わなければならない。そのとき、もしあなたが信じるなら、それはそのままサムエル記の状況なのであり、あなたが信仰者ならあなたは、ダビデその人なのである。あなたの属している組織は、神によって設定されたものであり、あなたが服している権威の最上部には、神がおられるからである。そして、あなたがそこで、もしダビデその人となろうと欲し、ダビデの戦いを戦おうと欲するなら、そのようなあなたに天からダビデの油注ぎが注がれることになる。あなたの服していたサウルは、いつしか戦いに倒れ、あなたの光が暁のように輝き昇り、あなたは、聖書に「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と書かれているように、まことの勝利者となる。
 サムエル記が書かれたのは、そのためである。だからあなたの武器は、この聖書の中にある。三勇士とその頭たち、すなわちヨアブ、アビシャイ、そして、ヨヤダの子ベナヤである。

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戦いの生涯

サムエル記下 第22章

 ダビデの生涯は、一言で言うと戦いの連続であった。彼は、戦いの為に生まれた。彼が戦いに出て行くと神の力が降り、彼の前に敵は倒れた。神は、彼が出て行く所、どこにおいても彼に勝利を与えられた。神は、ダビデにより、この地に裁きを行われた。
 しかし、平和が訪れると彼の心には、迷いが生じた。彼には、国を治める知恵は、与えられていなかった。神は、一人に多くの賜物を与えることはなさらない。彼が持っていたのは、敵に戦いを挑み、勝利し、戦利品を奪い取る力であった。これは、神の国の力であり、そのように天国は、攻められており、激しく襲う者たちがそれを奪い取っているのである。
 私たちが、自分の人生において勝利者となり、義の栄冠を勝ち取りたいと思うなら、私たちは、ダビデのようになろうと意志する必要がある。しかし、もし私たちが戦いをやめるなら、そこに迷いがやってくる。ダビデを誘惑した悪の力が私たちを捕らえ始める。だから私たちは、戦いをやめてはならない。私たちの生涯の全行程を、戦いにより走り抜けなければならない。
 しかし、ダビデにもやすらぎの時はあった。彼は竪琴を奏で、歌をうたった。また、神を賛美する詩を書いた。それらは、精神における戦いであり、彼はそこにおいても勝利を得ていたのである。彼は、その勝利の中に安らぐことができた。というのは、その勝利は、彼が自分の力で勝ち取るものではなく、神が彼に勝利をもたらされたからである。敵が彼を取り囲み、自分の武力を誇り、彼の神を侮るときにも、彼は神に向かって叫び、助けを求め、献身を言い表した。そのとき、神の元から平安と力が出て、彼を取り囲む要塞を打ち砕いた。
 今日の私たちの生活にも、様々な敵がおり、戦いがある。しかし、その只中にあって、私たちは安らぎを得ることができる。私たちがダビデのように神に頼り、神に叫び、神を賛美するならば、神の元から安らぎと力が私たちの元に降ってくる。
 それは、ダビデの子イエス・キリストの恵みが、常に私たちとともにあるからである。

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