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2007/06/25

裁き

サムエル記下 第12章

 ダビデがウリヤとその妻バト・シェバにしたことは主の御心に適わなかった。主は預言者ナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンが来てダビデに喩えを語ると、ダビデはその話に出て来た男に激怒し、「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ」と言った。するとナタンはダビデに言った、「その男はあなただ」と。ダビデは、このナタンの叱責により、我に返り、自分の罪を認めた。
 ナタンはダビデに、神に背いた彼の罪への報酬としての罰を宣告した。それは、非常に恐ろしいものであった。まず、バト・シェバが今宿しているダビデの子は死ぬということ。彼が他人の妻を奪ったので、彼も他人に自分の妻を奪われるということ。それから、彼が神の命令を守らなかったので、彼の部下から反逆者が出、そして今後彼の生涯には、苦悩が絶えることがないということだった。
 ナタンが自分の家に帰って行くと、主はバト・シェバが産んだダビデの子を打たれたので、その子は弱っていった。ダビデは、地に倒れ伏し、神に哀れみを求めたが、7日目についにその子は死んだ。ダビデは、地面から起き上がり、身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝し、王宮に戻って食事をした。王宮でこのときのダビデの心を理解した者はいなかった。しかし、ダビデは自分に下された最初の裁きにより平安を得たのだ。主を信じる者、ただ主のみを求める者にとって、その裁きが正しく行われることは、納得できることであるばかりか、その裁きそのものが愛ですらあるのだ。神の宣告は、ダビデにとってもっとも辛いものであった。と言うのも、その裁きは、ダビデに向けられずに、その子と王国に向けられたのだから。しかし、そのもっとも辛いことが同時に、ダビデにとって神の愛を表すものであった。ナタンが言ったように、「その主があなたの罪を取り除かれる。」と。ダビデは、その後一生の間、この彼の罪の実を刈り取り、彼の統治の間、争いが絶えることがないだろう。彼はその苦悩を詩編に綴ることになる。しかし、それにも関わらず彼の心は、神の前に平安を得ていた。それは、神がその裁きにより、彼の罪を完全に取り除かれ、彼との関係を回復してくださったことを知ったからであり、そしてそれこそがダビデにとって、もっとも大切なものであったのである。

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