« 2007年6月22日 | トップページ | 2007年6月24日 »

2007/06/23

苦悩

サムエル記下 第10章

 ダビデは、以前のように、戦いにより、異邦人を皆殺しにするようなことをせず、彼らに覇権を及ぼしながらも、彼らとうまくやって行こうとした。ダビデの心は平和を求めていた。神の御心である義と公正の実現には、平和は不可欠なのだ。しかし、ダビデの周りには、常に戦いがあった。その矛盾の前に、彼はしばし悩んだことだろう。神を知らない異邦人の心は悪く、なかなかダビデの思い通りにはならなかったからである。
 あるとき、アンモン人の王ナハシュが死んだので、ダビデは、「ナハシュがわたしに忠実であったのだから」といって、使節を遣わして哀悼の意を表そうとした。しかし、ナハシュの子ハヌンは、ダビデが遣わした家臣らを捕らえ、甚だしい辱めを与えて返した。
 アンモン人は、ダビデの憎しみをかったと悟ると、アラム人にも支援を要請して、たくさんの兵士を集め、戦いに備えた。ダビデは、やはりナハシュとのかつての関係を無視できなかったのか、またあるいは、自分の言うことを聞かないヨアブと共に戦いに出たくなかったのだろう。自分で戦いに出ることはせず、ヨアブをはじめ勇士たちの全軍を戦いに送り出した。かの勇士アビシャイもその中にいて、半分の兵士を率いて、両者は二手に分かれ、アンモン人とアラム人の戦列に対抗した。
 まずアラム軍がヨアブの前から逃げ去り、それを見たアンモン軍もアビシャイの前から逃げ去った。ヨアブはアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰った。その後、アラム軍がヘラムというところに結集した。その知らせを受けたダビデは、イスラエルの全軍を結集させて、ヨアブと入れ替わるようにしてヘラムへ向かった。ダビデは、アラムの戦車兵七百、騎兵四万を殺し、アラム軍の司令官ショバクもその場で打ち殺した。強いイスラエル軍の前にアラム軍はしっぽを巻き、二度とアンモン人を支援することはなかった。
 ダビデは、神の力により、戦いにおいて圧倒的な強さを発揮した。神はダビデに、その出て行くところ、どこでも勝利を与えられた。ダビデには、確信があっただろう。自分が戦いに出て行くところ、神の助けがあり、必ず勝利が与えられると。しかしダビデは、自分がイスラエルの王であることを自覚していた。イスラエルにおいて、神の義と公正が実現することを求めていた。そして彼は、戦いと平和の狭間で悩んでいたのだろう。平和のためになぜ、これほど多くの血が流されなければならないのかということを。
 このダビデの悩みは、今日のアメリカの悩みかもしれない。アメリカのことを悪く言う人も少なくない。私もアメリカが全面的に正しいとは思っていない。むしろ、イラク戦争後の状況が、むしろ戦争時よりもさらに悲痛な状況になっていることをニュース等で見るとき、もっと他の道があるのではないかと思うことが多い。しかし、もし自分が大統領の立場だったらどうするだろうと考えると、ものごとの大きさにただただたじろぐことくらいしかできない。私たちは、根本的には平和主義を掲げながらも、他国を批判する前に、まずこのサムエル記におけるダビデの心を良く思い計り、そこに現されている計り知れない矛盾とダビデの苦悩を、ダビデと同じ信仰者として自分のこととするところから始めるべきではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

巨大な頭脳

情報宣教方法論(Web2.0)

 Web2.0とは、次世代のWebという意味である。今までのものとの違いは、「考えること」、つまり「意味」が加わったということである。
 どういうことかと言うと、今までのWebは、ページに埋め込まれたリンクをクリックすることでつながっていく蜘蛛の巣のようなものだった。リンク先に何があるのかを表すのは、リンクが付加されている元の文字列とか画像だ。しかし、それらとリンク先のコンテンツは、意味的には別に関連がなくても良いから、嘘を書いておいて、Webの閲覧者を騙すこともできた。これは、そのリンクが人間の手作業によって作られていたことによる。
 Web2.0で目指されていることの一つは、このリンクをコンピュータが自動的に、しかも意味を考えながら付加しようということである。それにより、Webページ同士の連携がもっと有機的できめ細かくなることにより、インターネット全体が一つの頭脳を構成するようになる。この頭脳は、オントロジーという意味体系を記述する技術により実装されることになるが、オントロジー自体は、人間が作ることになるので、Web2.0における巨大な頭脳としてのWebコミュニティーの性質の良し悪しは、情報技術者が握っていることになる。これは大変なことだと思う。近い将来、オントロジーを制する者、つまりWeb2.0を制する者が、次世代のインターネットコミュニティ、つまり情報社会を制することになるだろう。そして、その無数のコンピュータから構成される巨大なコミュニティーは、上述のように頭脳を持つものであることから、それと対話する人間の思考は、この頭脳から大きな影響を受けることになるだろう。
 私たちクリスチャン情報技術者は、いやキリスト教界全体が、このテーマのために神に真剣に祈り求める必要がある。神が近未来のために、Webコミュニティーの中に良いオントロジーを構築する知恵を与えて下さるように。良いオントロジーが実装できれば、それは、多くの人を間接的に神に導くことになり、その反対なら、多くの人の心が神から離れて行くことになると私は真剣に考えている。
 今、私は正に、ある街のWeb2.0的なコミュニティー構築に自分の仕事を通して関わろうとしている。守秘義務もあり、実況中継的なことはできないが、その仕事で知り得たことをこのブログでも取り上げて行ければと思っている。神が私に、ご自身のご計画を啓示し、私の仕事を通してご栄光を現してくださるように切に求めるものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メフィボシェト

サムエル記下 第9章

 彼は、サウル王の子ヨナタンの息子であった。父は勇士であったが、彼は両足の萎えた者であった。しかし、そうなったのは、彼自身の勢ではなく、乳母が彼を抱いて逃げたときに、あわてていたので彼を落とし、彼はかたわになったのであった。
 メフィボシェトは、サウル家の中で、その足のゆえにただ一人生き残っていた。彼は、ダビデに見いだされ、ダビデが主に誓ったサウルへの忠誠の恩恵に与り、いつも王の食卓で食事をすることを許された。サウルの財産は、すべて彼に返還され、サウル家に仕えていたツィバは、家族や自分に仕える者たちと共にメフィボシェトの召使いとなることで、生計を立てることができるようになった。
 神は、本当に不思議なことをなさる。神は、ダビデを通じてご自身の義と公正を全イスラエルに表された。そしてメフィボシェトは、その実現のために神によって用いられたのであり、そのことが可能となるためにかつて不自由な身となったのである。正に主イエスが言われた通りであった。すなわち、「ただ、神の栄光が彼の上に現れるためである」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年6月22日 | トップページ | 2007年6月24日 »