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2007/06/20

ダビデの子

サムエル記下 第7章

 ダビデは、ティルスの王ヒラムが建ててくれた王宮に住むようになった。神は、ダビデの心の平和を求める叫びをお聞きになり、彼に平安な時を与えられた。ダビデは、神の慈しみを全身で感じながら、王宮で物思いにふけり、考えたことだろう、そう、「強さ」とはいったいなんだろうと。ダビデの心は、安定を求めていた。そして神は今それを自分に賜った。もはや戦いは不要だ。イスラエルの力の象徴としての神の箱も、もはや以前のように、兵士を奮い立たせる存在ではあり得ない。それは、神を頌える賛美の場とならねばならない。箱の上の2体のケルビムがそれを象徴しているのだ。
 神は、預言者ナタンを通してダビデに告げられた。「あなたに安らぎを与え、あなたの子孫を祝福しよう」と。それは、神がかつてアブラハム、イサク、ヤコブに与えられた祝福であった。ダビデは、主の前に出て祈った。彼には、それは一つの驚異であった。神が自分を選び、イスラエルをその敵から解放し、ご自身の栄光を表された後に、さらに自分にも栄光を賜るとは。そして、その栄光が自分だけでなく、自分から出る子に始まり、代々に続いて行くとは。自分は、神の栄光を表す一つの空の器に過ぎないことをダビデは認識していたのであった。しかしそれでは、神はなにゆえに、ダビデとその子孫を祝福しようと決意されたのだろうか。おお、それは、ダビデの家系の末に、御自身の一人子を生まれさせ、ダビデの子と呼ばせるためであったのであり、主イエス・キリストが人間として栄光をお受けになるためであったのだ。イスラエルは、そのとき初めて知ることになる。まことの栄光の意味を、そしてダビデが生涯捜し求めた「真の強さ」つまり神の力と真実とは、この地上でどのようなものであるのかとういことを。

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ローカルで行こう

情報宣教方法論(検索エンジン)

 検索エンジンとは、YahooやGoogleのような、キーワードを入力して、関連するホームページを見つけるようなサイトを支えている裏のシステムのことである。検索エンジンは、それぞれ巡回ロボットという秘密のプログラムを持っており、それが忍者のように世界中のWebサイトを一つずつ訪れて、そこから情報を無断で持ち出し、自分のところへ持ち帰るのである。検索エンジンは、そのようにして盗んできた大量のコンテンツの中をキーワードで検索して、それがどのWebサイトからきたものかを教えるのである。
 このようなビジネスは、日本では行うことができない。それは、日本の著作権概念に抵触するのである。しかし、このビジネスは、世界を凌駕してきた。そして今では人間の私生活まで凌駕しようとしている。
 その恐ろしさの一つは、人間が、その検索結果を過度に信頼してしまう傾向である。例えば、Googleで検索されないものは、この世界に存在しないと思ってしまう。Google自身は、そのような存在になるために、必死で世界中のコンテンツを集めているらしく、今では、世界中の図書館の書籍を1頁づつ入力していると聞いたことがある。しかし、恐ろしいのは、その検索結果をGoogleが操作できることである。例えば、このブログサイトをGoogleで検索してみると、「出エジプト記研究」、「レビ記研究」、「マタイの福音書研究」、「ルカの福音書研究」、「エックハルト研究」、等々、みなトップに検索される(この記事を書いた時点)のに、「創世記研究」で検索すると、実にどこにも検索されて来ず、むしろ「出エジプト記研究」のカテゴリーが先に検索されてしまう。しかもある日突然、そのようになったのだ。ヒット数も、「創世記研究」の記事は、結構参照されているようなのにである。このようなことは、自然には起こりえない。Googleの検索ロジックが間違っているのか、それともGoogleが操作しているかどちらかだと思える。そのようなことは、時々聞いたことがある。ある会社がそのようにある日忽然とGoogleの検索結果から消滅した。そして、その会社はそれ以来、大変な経営不振に陥ってしまったという。
 つまり従来は、現実の世界を模したのがサイバースペースだったのだが、それが段々逆転して来て、今やサイバースペースが現実世界を左右するようになってきたということである。それは、私の専門のデジタルマップの世界にも言えるだろう。デジタルマップでサイバースペースを作って、そこに例えば都市計画の情報、特に道路建設の情報を入れて一般公開すれば、それは、投資家やコンビニエンスストアの出店計画に影響を与え、それに従って店舗が建設されていくことになるだろう。
 このような大きな流れの中では、私たちは巨大検索エンジンのYahooやGoogleに巻かれるしかないのか。私は、そうとは限らないと思う。それに対抗するには、徹底的にローカル主義で行けばよい。つまり、クリスチャン情報技術者が、独自にサーバーを設置して、自分の街の情報を調査して入力する。そこには、その街でしか通用しない地名や概念がある。また、固有名詞の意味を正確に捉え、それを分類して検索できるようにする。たとえば、「しまだ」という店舗と「うのめ」という店舗が共に陶器の店であることや、「一番銀座」と「明治通り」がともに観光要素であることを認識した検索を提供する。それは、ローカル性においては、Yahoo、Googleを凌駕するものとなり得るのであり、その街で暮らす人の生活の場となり得るだろう。そして、そのサイバースペースで、聖書の文脈による情報検索を実現するのだ。そうすれば、例えば「愛」と打ち込んで検索したときに、聖書が提示する「愛」の意味で検索が行われることになる。現代ならそれが可能だろう。なぜなら、そのようなシステムの構築に必要なソフトウェアは、すべてオープンソースコミュニティから無償で手に入れることができるからである。

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