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2007/06/06

ただほど安いものはない

情報宣教方法論(オープンソース)

 最近、オープンソースのソフトウェアがインターネットに氾濫してきている。ソースとは、人間が書いたばっかりのプログラムのことであり、オープンという意味は、それがどのコンピュータのどのOSの上でも動くし、また誰でも、ただで、どんな風にも利用、改変が許されているという意味である。
 ちなみに会社での最近の私の仕事は、このオープンソースをベースに新商品を開発することであり、それが十分実用的なほどすばらしいソフトが多いのだ。それを作っている人は、どこで儲けているのかと心配になるが、そのような必要はご無用である。彼らはちゃんとビジネスをして、家族を養っているのだから。私は彼らのしたたかさに、何となく聖書に書かれている「野の花」や「空の鳥」のような優雅さを感じる。しかしそれらに比べて、聖書はなぜただではないのだろう。聖書の版権を管理している主体の方々は今、オープンソースコミュニティのビジネスモデルを研究してみる必要があるのではないだろうか。
 たとえば、聖書のテキストデータをインターネットから無償で配布するとしよう。アメリカではKing James訳等は、すでにそうなっているのだから。そして、それと共に、聖書の解説や種々の興味深い資料を一部有料で提供するというのはどうだろうか。なんと言っても、キリスト教会は、聖書の著者は神様だと言っているのだから。
 このようなビジネスモデルを実現し、動かして行けるような教材やその流通システム等の研究開発を、いまこそ神学校や宣教研究機関主動で推進する必要があるのではないだろうか。それにより、多くの人にみことばが届くことになるだろうから。しかしそのためには、新しく情報技術の講義等も積極的に取り入れたカリキュラムの拡充が必要かもしれない。
 しかし情報技術と信仰や霊的な戦いとは、どのように調和して行けるのだろうか。私には、現代人は、それらが決して調和しないと思い込ませられているように思える。情報技術は、0か1かの疑いようのない世界であり、霊的な要素の入り込む余地などないと。しかしそんなことは決してない。情報技術は、ますますカオス的になって来ていると私は実感している。
 そもそも、何万行というプログラムコードを人間がすべて把握できるはずがない。しかし、そこにたとえ1文字の違いが発生しても、もはや正常な動作は期待できなくなる。ところが例えば、セータ等の静電気により数千ボルトの電圧が発生することはよくあることだろうし、それがコンピュータになにがしかの悪影響を与えないとも限らない。その結果、プログラムに良からぬ改変が起こることが無いと言えようか。また、システムの定期的なバージョンアップ時に、寝不足なプログラマが誤ってキーに指を置き、コードの1文字を変えてしまうようなことがないと誰が言えようか。コンピュータがソースコードというものに依存している限り、そのような危険は無くならないだろう。
 これは、私が仕事でつき合った、或る優秀な技術者から聞いた話だが。かつて或る大手の情報企業が開発したシステムが納期日にどうしてもうまく動かず、担当者が取り乱したあげく、とうとうその大型コンピュータに神社のお札を貼るという破廉恥を行ったという。すると見事にシステムが動き始めたということだ。情報システムとて、人の産物であり、そこには悪霊さえ住み着くということであり、大手情報企業も悪霊に媚びへつらっているということなのだろう。
 だからクリスチャンの情報技術者ほど力強い者はいないと言えるだろう。彼は、非常に頼りになるお方を味方に持っているのだから。そのお方は、世界中のソースコードとその元になる情報技術の啓示者であり管理者なのだから。私たちは、少なくとも技術を習得する時間と同じくらい、あるいはそれ以上の時間を祈りに費やす必要がある。そうすればきっと、寝る時間も惜しんで研究開発している他の技術者以上の成果を出すことができると、これまでの経験から私は確信している。

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霊的な地図

情報宣教方法論(空間情報)

 「空間情報」ってなんだろう。なんのことはない、コンピュータで表示できる地図のことだ。しかしこれは、伝道計画や信徒情報管理などに使えるのではないだろうか。例えば、しかるべきソフトを使うと、教会員の名簿に書かれている住所から、住んでいる家の分布を地図上に自動的に表示できる。それらを全部包含する地域が教会の現在の勢力範囲と言えるかもしれない。その地域を、丁度教会員の家が1軒づつ入るようにほぼ均等に分割することだってコンピュータにはすぐにできる。これはボロノイ図と言い、教会員宅を核としたたくさんの細胞の集合のように見える。地域全体の建物を各細胞毎に集計し、それぞれに3くらいを掛けてみれば、とりあえず地域内の魂の分布らしきものが割り出せる。もう少し精度を上げたいなら、建物の床面積の比率に応じて、掛ける数を3でなく、個々に3.5とか2.5とか、自動的に加減することもできるだろう。算出した魂の数に応じて細胞を色分けしてプリントすれば、それに手を置いて祈れるような一つの道具ができあがる。
 人が集まる店舗、図書館、公民館、娯楽施設、学校等との関係はどうなっているだろうか。また、それらをつなぐ道路との関係で、どこあたりが人通りが多くなりそうだろうか等々、いろいろと思いを膨らませ、それに応じた地図を作ってみることもできる。差し詰め、フラー神学校のピータ・ワーグナーの門下生なら、その上に神社、仏閣や、その街の歴史上の大きな事件や殉教の足跡等を重ねて見て言うかもしれない、「ここに霊的な要塞があり、ここを通じて悪の霊が出入りしているはずだ」等と。
 最近では、コンピュータ地図は、Googleが無料で家庭に提供している。プログラムが組める人なら、それを使って、簡単に自分の地図システムを作ることもできる。しかし、上で述べたことを全部実現しようとすると、もはやGoogle Mapでは機能不足で、自分の地図データが欲しくなる。しかしこれがまた、日本全国の地域が無償でインターネットから取得できる。国が配布しているのである。さらにその地図データを表示、分析するソフトもインターネットから無償で入手できるとあっては、これは単なる偶然とは思えなくなってくる。きっと神様がそうされたのだ、そうにちがいない。そこで、この分野の研究開発がキリスト教界で、組織敵に推進されても良いのではないだろうか。
 しかしここで一つ重要なことがある。それは、神様には、それらのものは必要ではないということだ。神様は、それらを必要とはされない。そもそも神様は、私という技術者さえ必要とされていないかもしれない。でも、今日はそうであっても、明日は必要と言われるかも知れない。また反対に、昨日まで一生懸命に開発してきたシステムをある日、必要ないと言われるかもしれない。それは、神様の主権に関わることなのである。だからそのときは、きっぱりと割り切って、それらのソフトウェアをコンピュータから消してしまえるほど神様に従順でなければならない。それがこの情報という分野で神と共に戦うために必要なことだと思う。なあに消すのは簡単だよ。マウスのワンクリックでOKだから。
 それにしても、この「削除ボタン」、マイクロソフトが設計したと思うかい?。神様だと思わない?だってそれには信仰がかかってるんだから。

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