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2007/06/05

開発を素手で

情報宣教方法論(開発環境)

 インターネット上で動くシステムの開発は、最近非常に楽になってきている。月々300円程度払って外部のサーバを借りれば、パソコンは家庭用で十分だし、どこからでもそのサーバにつないで開発ができる。開発する場所を選ばなくなったので、喫茶店でコーヒーを飲みながらでも開発ができる。開発のためのソフトも必要ない。必要なものはみんなインターネットから無償で入手ができる。そんなわけで、先日は教会専用のSNS(ミクシーみたいなもの)をものの3時間で立ち上げてしまったほどだ。しかも費用は0円だった。
 このような状況は、キリスト教会にとって、宣教の追い風と言えるのではないだろうか。ちなみに、私の教会のホームページも無償ソフトで動いているのだが、日曜の朝、礼拝前だけでも60回以上のアクセスがあるのだから。
 このような状況ではあるが、これを仕事にしようとすると、まだ非常な困難に直面することが良くある。それは、知らないことが洪水のように押し寄せてくることだ。WindowsではないLINUXというOS、ApacheというWebサーバソフト、TCP/IPというネットワークの取り決め仕様、PHPという開発言語、XMLというデータ記述言語、こんな調子で、1時間くらいしゃべっていられるかもしれないほど、たくさんの知識が必要となる。私は、最近この分野に手を出し始めたので、ほとんど何も知らないに等しい。しかし、仕事では実際にシステムを開発しなければならない。システム開発していて、エラーが出ると、そのエラーをそのままGoogleに放り込んでみる。するとだれかが同じエラーで悩んでいて、自分のブログにその対処方法を書いていてくれたりする。これで約70%くらいは対処できる。ただし、その人のブログを読むとまた知らない言葉が山ほど出てきて、それらの言葉をやはりGoogleで調べることになる。このGoogleを管理しているのは、実はアメリカのGoogle社ではなく、神様なのだ。Googleは、神様が用いている道具に過ぎず、そこで検索されるブログの記事を書かせているのは、神様なのだ。私が困ったときにそれを探し当てることができるために。同じように、インターネット上に無数に見つかる無償ソフトも神様がだれかに作らせておられる。私は、「こんなのたぶん誰かが作っているに違いないですよね、神様。」と言って、またGoogleを検索する。すると、それが見つかる。そして、いつもピンチを切り抜けてきた。そのソフトは、先月まで検索しても見つからなかったのだ。でも、今月はそれが無いと本当に困るような状況だったから、それがそこに存在するようになっていた。神様は、本当にすばらしい。そして私に言われる。「情報技術は、誰か頭が良い人が築き上げてきたのではない。あれは、私がやってるんだ」って。本当に本当なんだから。

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戦線布告

情報宣教方法論(はじめに)

 世は正にインターネットの時代である。子供たちでさえ、宿題の答えをインターネットで検索している。わが家には4台のコンピュータがあり、私の妻は、その内でも最新鋭のやつを常用している。もはやコンピュータなしには、私たちの日常は成り立たないかのようにも見える。
 しかし神は、福音宣教のためにコンピュータを必要とはされない。そればかりか神はご自身のみ業のためになにも必要とされない。神は、石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるからである。
 ああしかし、その全能の神がいま、情報技術を必要とされているとしたら。それはあり得ることだろうか。別の例で考えてみよう。例えば、現代における宣教に、神は車を必要とされているだろうか。牧師が車に乗らないことを神は喜ばれるだろうか。あるいはそういうこともあるかも知れない。もしそれが、ただひたすら神の御力に依り頼むことになるのなら。しかし、神は車に乗る牧師や信徒をもご自身のみ業に用いられるだろう。その者たちが車を神の栄光のために用いるのなら。パウロは、「人が信じて受けるなら、何も捨てるべきものはない」と言っている。
 「神は、私の仕事をご自身の栄光のために用いることがおできになる」これが私の確信である。そして、神はまた、あなたの仕事をもご自身の栄光のために用いることがおできになる。そして神はそのことを喜ばれるお方なのである。神は、私たちサラリーマンを、苦虫をつぶしたような顔で監督しているようなお方ではない。あなたが毎朝、事務所のドアをあけるとき、「私も共に入ろう」と言われるお方なのである。そして神は、そこで1日あなたと共に仕事をしておられるのだ。何の仕事をであろうか。実は神はあなたのコンサルタントなのである。神はこれまでも、いつもあなたのそばにおられたから、あなたの仕事をすべて習得してしまわれた。だから、もしあなたが神に願いさえすれば、神はいつでもあなたを助け、あなたが驚嘆する解決方法を提供することがおできになるのである。
 たとえばこんなことが時々起こる。たまに東京へ出て行くと、時間も無いのに、大きな書店のこともあろうに、難しい数学の参考書の前に私はいることになる。そして、なんだか良く分からない本を手にとって見ている。もちろん他の興味のある本も見るのだが、あれはなんだか余計なことのように思っている。しかし、次の日に、会社で先輩から、難問の相談を受ける、それに昨日書店で見た本の内容がぴったりだったりする。またあるときは、非常に難しい情報システムの調査の仕事が会社に入ってくる。それは、社内の部門を回りまわって私のところに来る。私はある夜遅く、次の朝に報告書の提出日を控えて、家で悪戦苦闘していた。どうしても参考書が必要なのだった。それはたぶん町の書店を探せば見つかりそうなくらい一般的な本なのだが、この時間では書店はどこも閉店している。そこで、神に祈って部屋の書棚に目をやると、そこにその本がある。それは、私が何気なく、意味も分からずに1週間ほど前に購入したのを忘れていた本だった。その他、「キリスト信仰の体験記」にいくつか書いたが、神の導きなしに、私はこの仕事をやっていくことができない。
 そんな経験を繰り返すうちに、私は確信するようになった。「神は宣教に、情報技術を必要としておられる」と。もちろん神は、本当はなにも必要とされないのだが、それでも私には、それが必要と言っておられると。そして、私にこの分野で何か使命を与えておられると。そしてそれは、これまで自分の胸の内に秘めてきたのだが、最近では、このブログの他の記事と同様、まさにそれを書き留めようとするときに、神は私に語ってくださるのではないか、と期待するようになった。そこで、とにかく書いてみようと思った。それと同時に、自分の中でそれを体系化してみたいと思った。この分野で神と会話し、神と戦略を共にする方法論をである。

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摂理

サムエル記上 第29章

 ペリシテ人は、その軍勢をすべてアフェクに集結させた。イスラエル軍は、持久戦になると思ったのだろう、イズレエルにある一つの泉の傍らに陣を敷いた。ペリシテ軍は、武将たちの連合軍であり、百人隊、千人隊を成していた。ダビデとその兵もアキシュと共にペリシテ軍のしんがりを進んで行った。
 このときダビデは、本当にイスラエルと戦うつもりだったのだろうか。本当のところは分からないが、もしかすると、ダビデはサウルがこの戦いで戦死することを願っていたのかもしれない。しかし、たとえそうであったとしても、ダビデは、戦場においては、翻ってペリシテ軍の敵となり、イスラエル軍を助けたに違いないと思う。というのは彼は、サウルが死んだ後に、イスラエルを治めるのは、自分であることを自覚していたであろうし、また彼は、親友ヨナタンと契約を結んでいたのだから、ヨナタンの敵となることはできなかったであろう。
 ペリシテの武将もそのことを戦いの勘で察したのだろう。彼らは、ダビデとその兵が共に行くことを決して許さなかった。そこでアキシュは、ダビデを説得するために言った、「お前はまっすぐな人間だ。わたしはお前に、今まで何等悪意を見いだせなかった。しかし、ペリシテの武将の手前、今は平和に帰ってほしい。」アキシュは、何とお人好しだったことだろう。と言うのも、ダビデがアキシュに忠誠を尽くすことほど神の前に不遜なことはないのだから。だから、もしダビデがアキシュの言葉通りに真実を貫くことがあったなら、それはペリシテの武将たちが言ったように、彼が裏切ってペリシテの敵となり、彼らの武将たちの言葉の通りに、「そこにいた兵士たちの首をとってサウルの前に差し出す」ことになったであろう。

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