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2007/05/23

愛と狂気

サムエル記上 第18章

 ゴリアテとの戦いで勝利して帰ったダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。ヨナタンは、ダビデの内に自分と同じ信仰を見出した。ヨナタンはまたダビデの内に、自分と同じ、主からの賜物、勇気と敵を打ち破る力、愛と正義を見出した。それは、万軍の主イエス・キリストから来るものであり、キリストこそがその源泉であり、それら麗しいものそのものであられるのである。
 私たちが主イエスを愛するのは、彼が私の罪に代わって死んで下さったからではない。良いことをしてくれた人を愛し通せるような強い信仰は、私たちの内にはないし、また、良いことをしてくれたから愛するような愛はキリストにふさわしくもない。私たちは、キリストを知り、その愛と義と主権の麗しさを知ったゆえに、彼を愛さずにおられないのである。おお、その麗しさは、キリストから出て、彼を信じる者の心に来たり、そこに満ちあふれ、そこからあふれ出て、彼の周りまでその香りを放つのである。
 ヨナタンが愛したのは、このキリストの香りであり、それを放っているダビデその人であった。なぜなら、ダビデがそこにいなければキリストの香りもまたそこには無いのであり、ダビデがそこにいるゆえにキリストの香りもまたそこにあるのである。かく主は、信じる者を愛し、その者にご自身を現し、その者と共に住まいされるのである。これらのことは、人間の思いを遥かに越えており、言葉では十分に表現することは難しい。
 しかし、サウルはダビデを恐れた。サウルは、ダビデの内のこの主イエスの香りを恐れたのであった。それは、彼の力と思いを遙かに超えていたから。ダビデに対するサウルの恐れは、次第に病的なものになっていった。彼は、自分のために竪琴を引いているダビデを槍で刺し殺そうとさえした。しかしサウルは、自分ではダビデを殺すことができなかった。ダビデの内にあるキリストの油がダビデを守っていたのだ。そこでサウルは、ペリシテ人の手でダビデを殺そうと考えた。そのようにサウルの心は、次第に暗い部分が多く占めるようになっていった。これが悪霊に支配される者の行く末なのだ。サウルは家臣を通してダビデと話をするようになっていった。そして、ダビデに、ペリシテ人と戦って勝利を得れば、自分の娘を与えると約束した。しかしダビデは戦いに勝利し、サウルの婿となった。

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