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2007/05/09

神の箱の帰還

サムエル記上 第6章

 ペリシテ人たちは神の箱を持て余していた。神の御手が彼らの上に重くのしかかり、病気や災害をもたらしたからである。そこで彼らは神の箱を恐れ、イスラエルに返そうと決心し、国の祭司や呪術師たちに相談し、その指示に従った。
 彼らは神の箱を牛車に載せ、金で作った呪術的な供え物と共に送り出した。牛車を引いている牛は、子牛に乳を飲ませていた雌牛であり、子牛たちから引き離したばかりであったのにも関わらず、牛車は、呪術師たちが予言したように、イスラエルのベト・シュメシュに向かって一心に進んで行ったので、彼らはそれまで自分たちに降り懸かって来ていた災いが、イスラエルの神から来たものであったことを確信したのであり、彼らはそのようにして、自分たちに降り懸かっていた災いを回避したのであった。
 世の人々が神々に対して振る舞うやり方、その取り扱い方は、いつもそのようなものだ。それらは、彼らの経験に基づいている。彼らは、神から来た腫れ物の病と災害に対して、金でそれらの象徴を作り、それらを神の箱と一緒に送り出した。それらは一見、効を奏したように見えたが、全能の神がそのようなことに捕らわれるはずもない。神は、このような倒錯や迷いに対して、真実を彼らに知らせようとはなさらない。それは不可能であることを神はご存知なのである。彼らは、自分の元から災いが過ぎ去るや否やそれまで経験したことを一夜の夢のように忘れてしまうのである。彼らが真実の神を知る方法はただ一つ、神ご自身が言われるように、彼らに下る裁きだけなのである。この裁きが、彼らの頑なな思いを根底から打ち砕き、彼らの経験に基づく戦略が跡形もなく崩れさり、後に何も残るものが無くなったとき、そのとき初めて彼らが真実な思いで全能の神に向かって叫ぶということが起こり得るのだ。そしてこのことは、今日における伝道やときには信仰生活においても妥当することなのである。

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