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2007/05/06

エリの試練

サムエル記上 第2章

 エリには2人の息子があった。祭司職についていたが、彼らは、主に仕えようとはしないならず者であった。神は、エリと彼の息子が祭司であることを尊重され、彼らが悔い改めて正しい道に立ち返るのを待っておられた。しかしやがて、彼らの悪行が父エリの耳にも入ってきた。しかしエリは、彼らを諭しただけで、彼らの行いを裁くことをしなかった。神はついにご自身の代弁者をエリのもとに遣わされ、裁きを告げられた。もしエリが、この裁きの予告を聞き、悔い改めて自分の成すべきことを勇気を持って行う決心をしたなら、神はエリを赦されただろう。しかし、そのようにはならなかった。その理由は、神が指摘されたように、エリが自分の息子を神よりも大切にしていたからであった。
 神は、このエリの罪によって、彼の家を裁く決心をされた。息子たちの罪によるのではない。彼らの罪は、ただ彼らの上に帰するだけであった。彼らは、同じ日にあっけなく取り去られた。しかし、エリの罪は、エリの家全体の上に臨むものとなった。エリ自身は祭司の務めを忠実に果たしていたのかもしれない。しかし、彼は自分の息子たちを神よりも大切にすることにより、神をないがしろにした。そのようなエリに神はもう、お語りになることはできなかった。神がエリに背を向けられたのではない。エリの心がいつしか神から離れ、神に耳を傾けることをしなくなっていたのである。
 人として生を受け、親に育てられ、結婚し子供を与えられ、家庭を営む私たちは、このエリの罪を犯す危険をいつも抱えている。すなわち、神をとるかこの世の血筋や愛情をとるかという試練である。もし私たちがこの世をとるならば、神はもう私たちにお語りになることができなくなる。今日の時代、神が私たちに語られることが稀だとすれば、それはちょうどこのエリの時代と同じであり、あるいは私たちがこの世を愛するあまり神を軽んじているのではないかということをもう一度反省する必要があるのではないだろうか。
 神は、この試練に脱落したエリに代わって、新しい祭司を立てられた。人の思いによらず、血筋によらず、ただ神のご計画による新しい祭司である。その影には、一人の女性の激しい苦しみを通した献身があった。しかし、その高いご計画は、ただ神の主権により、永遠の昔からの定めにより、民族の歴史の中に芽を吹き、結実して行くのである。
 

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