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2007/04/16

聖と俗

エゼキエル書 第44章

 神はエゼキエルに、神殿に関するすべてのこと、そのすべての掟とすべての律法について語り聞かせられた。そして彼に言われた。「神殿に入ってよい者と、聖所から排除すべき者すべてに注意しなさい」と。神は、聖なるものと俗なるものを分離せよと言われたのであり、それが律法であり預言者である。そしてそれは、神の愛と矛盾しないことなのである。神はエゼキエルの前で、ヤロブアムの罪を厳しく指摘された。彼は自分の王権を守るために、エルサレム以外の自分の街に主の祭壇を築き、犠牲を捧げた。そして、人の人気を買おうと、その聖なる務めを異邦人に行わせたのであった。
 今日でも同じような混同が行われる可能性がある。それは、教会に人々を連れてくるため、教会の門を広く開けておくためと言われる。しかし、そのために礼拝の中に静粛が失われ、開始時間は守られず、人のための祈りばかりが捧げられ、耳障りの良い讃美が多く奏されるなら、それは聖なるものと俗なるものがまざりあっていることになるのかもしれない。しかし神は言われる。「イスラエルの子らの中に住んでいるすべての外国人は、わたしの聖所に入ってはならない」と。また、イスラエルが迷ったとき、神から離れて偶像に従ったレビ人に対しては、二度と御前で使えることを許さず、神殿の雑務を行う者とされた。ただ、そのとき神の聖所の務めを守り通したレビ人の祭司であるツァドクの子孫にだけは、御前に近づくことを許された。それ以外の者は、神は決して御前に近づくことを許されなかった。
 それは、イエス・キリストを指し示しているのである。彼こそは、ツァドクの子孫のように、最後まで神に従い通し、ご自身の御体を通して、完全な犠牲を捧げられた。私たちは、ただこの方を通してのみ神に近づくことができる。この方だけがまことの祭司であり、私たちはこの方にあってだけ祭司なのである。

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