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2007/04/01

爆破ゲーム

Bomber
 この小型コンピュータは、AppleのNewtonという。もう20年くらい前のマシンだが、なんとなく手放せずに持ち続けている。そのヒューマンインターフェースに魅せられているからだ。それから、その古き良き時代の大らかな心意気に訴えかけてくるものがある。たとえば、このゲーム。BOMBERというが、起動すると、「President which city shall we destroy?」(大統領、どの街を破壊しましょうか?)と聞いてくる。そこで、たとえば、縁起でもないが、「Tokyo」と打ち込み、おごそかに「NUKE」(核ミサイルの発射ボタン)を押す。 すると、「Tokyo won't bother you any more.」(東京のことは、もう心配しなくて良いですよ。)と表示される。ただこれだけのソフトである。このセンスに共鳴する方だけ、私とともに喜んでいただければ満足である。

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ヨハネの福音書(1:1~2:神に対するロゴスの関係)

 『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。』
 この聖書の言葉は、天地創造以前、まだ世界も時間も無かったときに、すでに言葉(ロゴス)が神と共にいたこと、すなわち言葉(ロゴス)は、この世界に属しておらず、造られたものではなく、神に等しいもの、すなわち神であることを示しているとブルトマンは言う。しかし、二人の神がいるのではなく、一人の神であり、かつそれらは区別された二人としての一人であると言う。この最初の2節の御言葉は、そのような意味で互いに矛盾しており、しかしその矛盾的な表現には、大きな意味が込められていると彼は言うのである。
 それでは、この聖書の著者はなぜそのような矛盾した表現を用いたのだろうか。それは、人の言葉では言い表すことができないこと、物語や神話としては表現しようのない真理を表現するためであったとブルトマンは言う。それではその大いなる真理とは何か。それは、三位一体の真髄であり、神であられたキリストが人と成られたことの深遠な意味を表現するものなのだ。
 キリストは、その公生涯が終わりに近づいたとき、ご自身が天に帰るときの近いのを知り、地上に降りてこられたときとは逆に、天を見上げてピリポに言われた。「私を見た者は、父を見たのである」と。
 福音書記者ヨハネが、上記のような矛盾した表現を用いて、どうしても表現したかったこととは、まことの神である父なる神と啓示としての言葉すなわちキリストという二つのものが、まったく一つであること、人間的には二つに見えるけれども、真実にはそれらは、人間的な概念を超えて理解されねばならず、この二つが一つであるということから、この世界が始まったのであり、私たちはそのようにこの世界を捉える必要があるということである。
 それは再び、「私を見た者は、父を見たのである」とは、「この地上でキリストを見た者は、神を見たようなものである」という意味ではなく、また、「この地上で神を見ようとすれば、せいぜいキリストを見るくらいしかない」という意味でも決してなく、「キリストを見た者は、神のありのままの姿、そのままの姿を見たのである」という意味であり、「この地上で神を見ることは、キリストを見ることと同値である」という意味なのだとブルトマンは言うのである。
 だから私たちは、この世界を生きながら悪戦苦闘するとき、天国のことを思って心を慰めるべきではない。なぜなら私たちは、この世界において、神を見ることを授かっているのだから。もし私たちが、聖書に記されたキリストの生涯に心を寄せ、その御足のあとを辿り、キリストに倣って生きようと欲するなら、そのような私たちの生涯に、まさに神がご自身を現される。そのとき、私たちの歩みはキリストの歩みとなり、私たちのいる場所がキリストのおられる場所、すなわち神の国、天国となるのだということである。

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地球の紙風船

Paperearth
地球儀には、なぜか特別の魅力を感じる。でもまともなものは持っていない。これは、海外出張へ出かけるときになぜか餞別として同僚からもらったものだ。鉛筆で紙に地球を書こうと思ったら、最も正確に書きたければ、コンパスで円を描くのが良いと聞いたことがある。地球のゆがみや海や山の凹凸は、鉛筆の太さの中に入ってしまうという。そういうことなら、地球儀としては正確さを競ってもあまり意味がないだろう。むしろオリジナリティを競うべきだと思う。そこで、ビニールや紙でできた地球儀にも勝算があるというものだ。それに、最近はこの地球という天体が実は非常にもろいものであることを感じさせるニュースが多くなってきたようでもあるから。

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