« 2007年3月19日 | トップページ | 2007年3月30日 »

2007/03/28

聖なる神殿

エゼキエル書 第41章

 この神殿の中心には、神を礼拝する拝殿があり、その脇柱の太さは、3m、壁の厚さは2.5mもある。拝殿の入り口の幅は、都の門の幅と同じで5m、そこから中へ入って行くと、もう一段狭くなった入り口がある。この2つ目の入り口により、拝殿は聖所と至聖所に区切られている。しかし以前のような、聖所と至聖所を分けるためのケルビムの刺繍のついた分厚い垂れ幕については、なにも言及されていない。それはもはやそこに存在しないのだろうか。それらの内側は、すべて木の板が敷き詰められ、ケルビムとナツメヤシの模様がくまなく覆っていた。聖所は、廊のような形で、明り取りの窓格子が付いているようだ。これは、かつてのような恐ろしい神の臨在する場所ではなく、人々が歓びをもって神を礼拝するための場所のように見える。また、拝殿を取り巻く三階建ての回廊付きの脇間は、上階に行くほど広くなっている。それは、パウロの引き上げられた第三の天を思い出させるようだ。さらに拝殿の西側には、広い別殿が備えられている。これは何に使われるのだろうか。このように、記されている神殿の姿を心に描きながら、内を巡り歩くのは、なんと心が弾むことだろう。これは、心を癒す場所、憩いの場所ですらあるようだ。
 しかし、このような壮大な神殿の設計図は、何のために啓示されたのだろう。神はエゼキエルに、それをイスラエルの民に示しなさいと言われた。彼らが自分たちの行いを恥じるなら、この神殿を造らせよと命じられた。そして、ご自身がそこに住まわれることを約束された。
 神は、天地創造の昔から変わらない、聖なる哀れみ深いお方だ。神は、一貫した救いを提示して来られた。かつてモーセに幕屋を啓示され、ご自身がその中に住まわれた。そしてソロモンには、神殿の設計図を啓示され、そこに住まわれた。そして、ご自身を愛し敬う者に一貫した恵みと救いを提供されたのだった。
 エゼキエルに啓示されたこの壮大な神殿、それは歴史の中には、実在しなかったように思われるが、それが実在してもしなくても、神の愛と慈しみは、変わることがない。時が満ちて、神の御子が生まれ、ご自身の体なる神殿を持って神を礼拝し、ご自身が聖なる捧げものとなられ、私たちの罪を購い、天から聖なる霊を遣わし、彼を信じる者の心を聖なる神殿とし、ご自身、父と共に、その心の神殿に住まわれることを決意された。そして、これこそが神の愛と慈しみの究極の完成なのだが、それでも、それでも、神の愛が変わったのではない。
 神は、天地創造の昔から、変わらないお方であり、永遠の愛で私たちを愛しておられたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月19日 | トップページ | 2007年3月30日 »