« 2007年2月27日 | トップページ | 2007年3月6日 »

2007/03/03

枯れた骨の復活

エゼキエル書 第37章

 第二のバビロン補囚により、エルサレムの神殿は破壊され、イスラエル王国はいまや完全に滅びてしまった。国民は、遙か異境の国へ連れ去られ、もはや帰るところもない。顔を向け、ひざまづいて礼拝すべき神殿もなくなってしまった。彼らのすべての望み、心の支え、民族としてのアイデンティティさえも完全に失われてしまったのであった。
 神はエゼキエルに、この状況を谷一帯を満たす枯れた骨の幻として見せられた。それは、神が投影されたのかそれともエゼキエルの心がそれを生み出したのかは分からないが、それらの骨は甚だしく枯れていた。
 ああイスラエル。神に創造され、選ばれ、聖別された民。その支配はソロモン王により確立し、栄華を極め、すべての国民の驚嘆の的となった民。しかしその後、自ら北と南に分裂し、分かれ争ってきた民。そこには、永遠に解決の糸口はなかった。彼らは、この世界に神の栄光を現すはずが、返って自らの罪により崩壊し、衰退し、ついに無一物になってしまった。
 なぜ、なぜそうなってしまったのか。それは、彼らの心にアダム以来の罪があったからであり、その原因が取り除かれない限り、選民イスラエルにとっても律法は重荷でしかなく、彼らとて異境の民の習慣に従う道を歩み始める危険性があったのである。
 それでは、神は彼らに無理な要求を押しつけられたのであろうか。いや、そうではなく、神は彼らを荒野で訓練され、肉体的な慣習において死ぬことにより律法の要求を満たせることを教えられた。そしてそれを確実なものにするために、神はご自身、イスラエル民族の直中に天幕を張ってお住みになられたのである。
 ああしかし、それらのこともすべて無駄であった。弱さにより彼らイスラエル人は、神の教えを完全に実施することを怠り、その結果、彼らは約束の地から異邦人を完全に追い出すこともせず、返って彼らと生活を共にすることにより、異教の生活習慣に染まってしまった。その結果、神がご自身を指して誓われた契約によりイスラエル民族に約束された祝福のすべてが、斯業としての約束の地を含めて、すべてが無に帰してしまったのであった。
 ああしかしいま、それまで彼らを打ち砕いてきた神の義が、こんどは哀れみとなって彼らに向けられる。神が変わられたのではない。それは、天地創造からの同じ義である。しかしこんどは、そこから大いなる哀れみが湧きあがり、彼らに語りかけられる。「平安あれ、平安あれ、私はあなたを癒そう」と。そして、その愛は、自ら人と成り給いてこの世界に降り来り、人と共に住み、苦しみを受け、十字架でご自身の命を捧げられるのだ。どんなにかイスラエルはこのときを待ち望んでいただろう。そして神もどんなにこのときを待っておられたことだろう。しかしそれは、神にとってまたどれほどの苦しみの時だったことだろう。それは、永遠の昔からの定めであり、天地万物はこのときを固唾を呑んで待ち望んでいたのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年2月27日 | トップページ | 2007年3月6日 »