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2007/02/27

祝福の回復

エゼキエル書 第36章

 バビロンの王ネブカデネザルにより、イスラエルはバビロンに、そして異境の地に連れ去られ、イスラエルの山々を守る者はいなくなり、そこを異邦人が占拠することとなった。それは、彼らイスラエルが神に背いて、異境の民の教えに聞き従い、自分たちを造り、祝福される唯一の神を捨てたからである。
 ああしかし、この失われた祝福は、神がアブラハムと結ばれた契約であり、またモーセにより神がイスラエルの民一人一人と結ばれた契約によってもたらされたものであった。その尊い祝福が今、無に帰してしまおうとしていたのであった。
 もしこの祝福が永久にイスラエルから失われてしまうのなら神が彼らと結ばれた契約もまた虚しくなってしまう。そのようなことを神がなさるはずはない。神は、イスラエルを愛し祝福するために彼らを選ばれたからである。いや、それだけでなく、彼らを通してすべての民族を祝福するのが神のご計画なのである。
 それゆえ神は、ご自身のご計画をまったく新しい方法で実行される。それは、かつてこの地上の誰も考えつかなかった方法である。その方法とは、神が自ら人の心の中に住まわれるという方法である。
 神はかつて、アブラハムにこう言われた。「あなたは私の前を歩み、まったき者であれ。」神は、アブラハムの歩みを天から見ておられたのであり、神とアブラハムの距離は天と地ほど離れていたのである。しかし、神はヤクブには、天へ続く梯子を備えられた。そしてモーセに至っては、神は天から降り来たり、宿営の直中に住まわれたのである。ところがいま、神は、イスラエル人一人一人の心の内に住まわれると言われるのである。
 神は二千年前に、狭く汚い馬小屋で人となられた。それは、神にとってなんと似つかわしくない、ある意味で屈辱的なことだったろう。それから30余年のご生涯を、神はこの世界で、心の汚れた魂に取り囲まれながら生き通し、冷酷な魂に取り囲まれて死なれたのである。
 ああしかし、神がエゼキエルを通してここで言っていることは、ある意味でそれよりも大きなことである。神は、馬小屋より汚い人の心の内に自ら降り来たり、そこに永久に住まおうとされたのであり、それこそが、エゼキエル書が私たちに啓示していることなのである。

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