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2007/02/22

民一人との関係

エゼキエル書 第33章

 神は、エゼキエルをイスラエルの見張り役とし、彼によってイスラエルに警告を与え、彼らを背きの道から立ち帰らせ、ご自身と和解させようとしておられた。しかしそれは、もはやイスラエル民族と神との関係という形態、すなわち契約の形態ではなかった。神の怒りが激しく、もはや差し止めることができないまでになってしまったので、神はイスラエル民族との関係をもはや回復できない状態にあったのである。それゆえ神は、イスラエルの民の一人一人との一対一の関係という最終的で究極的な立場にご自身を置かれたのだった。そして神は、この分散された関係の中で、イスラエルの民に向かって言われるのである。「立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」と。
 ああ、しかし彼らには、自分で神の元に立ち帰る力がない。彼らの罪が彼らを放さないからである。もちろん神もそれを知っておられる。それではなぜ神は彼らを直接お助けにならないのか。まさにそのことが不可能なのである。救いとはそのようなものであり、この一点にキリスト教の重要なことが凝縮している。このことは、たとえ全能の神にとってしても、どうしようもないことなのであり、それを克服するただ一つの方法が、ご自身の一人子を人間として世に生まれさせ、彼に人類の罪を負わせるということだったのだ。しかもそれは、定められた時、このエゼキエルの時代から何百年も後になって初めて起こりえることであったのだ。
 それゆえ今、エゼキエルは彼らにとって、「楽器にあわせて美しい声でうたうみだらな歌い手」のようだ。そして、その結果として全能の神も彼らにとって、そのような存在に自ら成り果てておられたのである。

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