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2007/01/20

説教9:「自分の魂を憎むということについて(ヨハネ12:25)」より

 美味しいものを食べることは楽しいことである。しかし、食べ過ぎは体に良くない。また、美味しいものの中には、カロリーが高く、食べ過ぎてはいけないものも多いようだ。そのように、美味しいものを食べることは、うれしいことだが、必ずしもそれが自分を大切にしていることにはならない。自分を愛し、大切にするということはどういうことなのだろうか。
 人間を霊的な存在と見た場合には、これがはもっと切実なこととなる。自分を喜ばせることが自分を甘やかせ、怠惰にすることにつながるかもしれないからだ。そして、どのような「喜ばしいこと」が良くないのかは、その量によっても、また時によっても、さらに個人によっても異なってくるようなのだから始末が悪い。
 それでは「楽しいこと」には、何か良い面があるのか。この一般には「たまには必要」と見なされているものは、どうして必要なのか、またその目的は何なのか。そのように一息入れる必要があるほどに一生懸命に、人はいったい何をやっているのか。そのように突き詰めて考えてみると、結局それが、周り回って自分のためであったりする。そこで結局、すべてはこの世を楽しく生きるのが目標であることが明らかになったりする場合もないとは言えないだろう。
 そのような場合には、やはり「楽しいこと」は、その人にとって害となるのであり、そればかりか、そういう場合には、その人の人生全体がその人にとって害となると言えよう。なぜなら、その人は或る意味で、ただ死ぬのを待っているだけだとも言えるだろうから。もしここに書いたことが実際にあてはまる人がいるなら、その人はもしかすると、今もっているもののほとんどへの執着から離れ去る必要があると言えるかもしれない。そして、その人がそのようにして自分の有害な執着から離れて行くことは、何を意味するのか。
 それは、実に彼が、自分の魂を憎むということに他ならないだろう。

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