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2006/11/28

エゼキエル書 第18章

 神はエゼキエルを通してイスラエルの罪に対する裁きを宣告された。しかし神はイスラエル民族の罪を裁いておられるのと同時にそこに住む一人一人の罪を裁いておられるのである。
 神は言われる。父が酢いぶどう酒を飲んだからと言って、子供の歯が浮くことはない」と。しかしそれは、「父の罪を子に報い、3、4代に及ぼし、祝福を1000代にも及ぼす」との宣言とどのように調和するのだろうか。
 それは、神の呪いと祝福はそのように世代を経て注がれ続けるが、人個人の人生、すなわち彼が神の前でどのように生きるかがそれを変える力を持つということだろう。
 イスラエルの民の背信により、民族全体にバビロン捕囚という呪いが降り懸かった。しかし神はエゼキエルを通じて言われる。裁きは終わったのではない、この呪いのなかでも正しく生きる者には祝福が到来し、不正を行うものには更なる呪いが来ると。
 私たちの人生にも、あるいは先祖からの呪いがかかっているのかも知れない。そして、まずその処理をする必要があると言う人もいる。確かにそれも効果があろう。しかし、本当に処理されなければならないのは、実は私たちと神との個人的な関係なのであり、それが正しく取り扱われれば、問題解決の糸口が大きく開かれるに違いない。私たちの神は、すべてが可能であり、哀れみ深いお方なのである。
 父なる神さま。あなたと永遠の父子関係に戻れますように。

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