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2006/10/27

終わりの目的

エゼキエル書 第7章

 エゼキエルを通して神は言われた、「終わりが来る」と。何の終わりであろうか。イスラエル民族の終わりである。それが世界の四方からいまイスラエルに襲いかかろうとしているのだ。何によって終わりが来るのか。剣と飢饉と疫病によってである。
 これは、ノアの日に匹敵するものだ。神は彼の日にも裁きにより、ご自分に背く者たちをみな滅ぼされた。それ以外に方法はなかった。そして今も、他に方法はないのである。すべてが狂い、自ら滅亡に突き進んで行こうとする世界において、ああ何ということだろうか、もはや全能の神にも、これを滅ぼすこと以外に方法が残っていないとは。
 それでは、この終わりの目的は何であろうか。終わらせること自体が目的なのであろうか。否、否、神はそのようなお方ではない。破壊することを目的に創造されるようなお方ではない。神はご自身、この終わりの目的を告げておられる。すなわち、「彼らは、私が主であることを知るようになる」。
 父なる神さま。すべての人が、あなたを知るようになりますように。

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捕囚の民

エゼキエル書 第6章

 当時イスラエルの民は、偶像を拝み、異教の神に仕え、それらのために祭壇を築いて犠牲を捧げたりしていた。神は再三に渡り預言者を送り、彼らが偶像崇拝をやめてまことの神に立ち帰るように説得された。しかしイスラエル民族はそれを聞かなかったばかりか、預言者を迫害さえした。そこでで、ついに神の怒りがイスラエルに対して燃え上がり、もはや手の付けようがないまでになった。バビロン捕囚はそのようにして起こった。すなわち、イスラエル民族が神を捨てたので、神もまたご自分の民を敵の手に渡されたのである。
 しかし、すべての民が一度にバビロンに連れて来られたのではなかった。捕囚は2度に渡って行われ、最初のときにはヨヤキン王と長老たちのような主だった人たちがまず連れて来られたようだ。エゼキエルもこのときバビロンに連れて来られ、ケバル川のほとりにいたのだった。
 神はエゼキエルに、背信の民イスラエルに対してご自身が成そうとしておられる裁きを告げられた。神は、異教の地に連れて来られた長老たちに、来るべき神の裁きを預言したのであった。
 それでは神は、第二バビロン捕囚をできれば回避したいと願っておられたのだろうか。私はそうだと思う。神はイスラエルを愛しておられ、彼らが悔い改めて神に帰って来さえすれば、いつでも彼らを赦そうと思っておられただろう。しかし、彼らは悔い改めなかった。彼らの心が麻痺してしまっていたのである。そしてそれはまた、彼らの背信の結果なのである。
 父なる神さま。イスラエルの罪を赦してください。

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