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2006/10/26

神の裁き

エゼキエル書 第5章

 神はエゼキエルに、鋭い剣で髭を剃り、それを3つの山に分け、一つを街の中で燃やし、一つを切り刻み、一つを風の中にまき散らすように命じられた。
 それらはイスラエルの民への神の裁きを意味していた。神はちょうどそのように、彼らに対して、火を放ち、疫病を送り、諸国に向かって追い散らし、さらに剣を抜いてその後を負うことを決意されていたのであった。神は、そのようにしてご自身の怒りをご自分の民の前に注ぎ出すことにより、自らを慰め、安らぎを得ようとされておられたのであった。
 神がこのようにご自身のなさろうとされることを選ばれた者に告げられるときは、何かそこに意図があるものなのである。神はかつてアブラハムにご自身がソドムに対して行おうとしておられた裁きを告げられた。そのときは、アブラハムが神にソドムの裁きに対して取りなすことが意図されていたのであった。
 しかしここで神がエゼキエルに告げておられる裁きは、決して取りなすことができない裁きである。返って神は、エゼキエルにご自分の怒りを共有することを望んでおられるように見える。その理由は、その裁きがあまりにも悲惨なものであり、見るに耐えられないものだからなのだろう。神はご自分の民に対する裁きを予めエゼキエルに告げ、それを実行される。エゼキエルが取りなしをすることはできない。神の怒りがあまりにも大きいからである。それではなぜ、神はエゼキエルを立て、彼に裁きを告げられるのか、それは、民に裁きの意味を知らせ、悔い改めに導くためである。神は御怒りを注ぎ出しつつも、ご自分の民を招き、手を差し伸べておられるのである。
 父なる神さま。あなたの裁きは、常に正しいです。

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