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2006/10/14

砂丘の砂

Sand_1

鳥取砂丘に行ってきた。
砂を持ち帰りたかった。それにもってこいのおみやげを見つけた。
上から落ちてくる砂、積まれてきて、斜面をすべり落ちる砂、なんだか、このガラスの中に砂丘があるみたいだ。
この砂時計。本当に鳥取砂丘の砂が入っているらしい。
その証拠に、最後に、ガラスの壁面にこびりついてしまって落ちない砂が残る。
このぎこちないところが、かえって本物らしい。
そこで最後に、ガラスを軽くたたいてみる、すると、こびりついていた砂が、みごとに落ちて行った。

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2つの海の水

Bottle
大西洋とインド洋の海水が混ざりあうところ、そこが喜望峰だ。
このビンの中には、まさにその混ざり合った水が入っている、ということらしい。
少なくとも、このおみやげを買った私は、それを信じている。
でも、買ったときから比べて、だいぶ蒸発してしまった。
この分でいくと、あと50年後くらいには、そう言い張る必要もなくなるだろう。

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コルク細工

Gate
サンフランシスコでたわいのないおみやげを買うと、たいていは「Made in china」ってシールが貼られていて、なんだかがっかりしたことがある。でも、世界の多くがそんな状況なのだろう。日本でも中国製は氾濫している。
でも、チャイナタウンで買った、このゴールデンゲートブリッジのコルク細工は別だ。これは、まさに「Made in china」がうれしい。これは、なんだかとても、ちょっとばからしくもあり、うれしくもあり、なつかしくもある一品なのだ。

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カシパン

Kashipan4

カシパンという生き物が、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、いるらしい、と考えるしかない。
これは、最近また仕事でサンディエゴへ行ったときに買ったもの。
ここのは、ちょっと大型で、こんな風に絵をつけるのに向いているらしい。

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カシパン

Kashipan3

カシパンという生き物が、ほんとうに、ほんとうに、いるらしいのだ。
これは、サンディエゴでずいぶん以前にかったカシパン。
イースターリリーという模様があり、イエス・キリストの十字架上の傷跡の数の穴があいているという。

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カシパン

Kasipan2
カシパンという生き物が、ほんとうにいるらしい。
でもまだ、動いているところをみたことがない。
これは、P.E.I というなんだか遠い島にいったときに買ったカシパン。
この島特有の赤い土の色にちょっと、どうしても、染まってしまったようにみえる。

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カシパン

Kashipan_2

カシパンという生き物がいるらしい。
まだ、生きているところを見たことがない。
これは、南アフリカのケープタウンで買ったカシパンだ。
小さくて、白くて、愛らしい。
5つあったんだけど、1つだれかにあげてしまった。

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過ぎ越しの祭り

レビ記 第23章
 祭りは天的なものだ。それは、聖なるもの、目に見えない天にあるものを表している。そしてそれはまた、この地上で現された神の御業の真の意味をも表しているのである。
 神は、モーセを通して民に命じられる。「あなたがたは、心を苦しめなければならない」と。この苦しみは、天からの苦しみであり、神の御心にある苦しみだ。また言われる、「あなたがたは、歓び祝わなければならない」と。この歓びは、天からの歓びであり、神の御心にある歓びなのだ。私たちは、祭りを通して、神と共に心を苦しめ、神と共に歓び祝わなければならないのだ。
 このように祭りは、イスラエルの民が自分人生をどのように生きるかを認識するために必要であった。今日では、この祭りに該当するのは、毎週の礼拝だろう。私たちは、礼拝に出席することにより、神の前にどのように自分の心を注ぎだして祈るべきか、また天からの祝福を受けて、どのように感謝し、喜ぶべきかを身をもって体験するのだ。そして、月曜日には、日常生活へ遣わされて行き、そこで神とともに歩む生活を実践するのである。
 父なる神さま。人生の中に、天的なよろこびをお与えください。

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