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2006/10/06

聖なる差別

レビ記 第21章

 祭司職は聖なる職であるから、たとえレビの一族の者であっても、体に障害のあるものは、祭司の務めをしてはならない。また、寡婦や遊女を妻にめとるようなことがあってはならない。これは、今日の常識から言うと差別であり、人権侵害にあたるだろう。
 今日の「平等」の概念の根底には、常に人間主義的な考えがある。弱者に対する冷遇や差別は、人の心に潜む自己愛がときとして人を見下すからであろうが、人間主義はこれを平等の原則に反するということから、良くないと判断するのである。しかし、そもそも完全な平等というものがこの世界に存在するのだろうか。否、むしろ不平等なことの方が多いのではないだろうか。貧富の差一つとってみても、それをだれも不平等と思わないようだ。人間主義が提唱する平等は、結局機会の平等であり、その上での弱肉強食を容認しているのである。そこで人間主義は、詰まるところ人間を動物のように見なしていることにはならないだろうか。
 しかし神を第一とするときに、状況は根本から変わってくる。そこでは、何が神の栄光を現すかが問題とされる。だからそれによって、一見差別が発生するように思えるが、その差別は、人間同士が行う差別ではなく、一つの目的を持っており、それ以外の目的には適用されない。したがってそれは弱肉強食のような制御の利かないものではなく、そのような差別においても、神の愛と尊厳がそこに現されるのである。
 父なる神さま。あなたが私を見ておられる、そのあなたの御思いを知ることができますように。

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